主の洗礼C  イザヤ401-59-11 テトス211-1434-7 ルカ315-1621-22      22-1-9

  イエス様が洗礼を受けた。よく理解できなかった。イエスは「まことの神」、「まことの人」であると教えられている。なぜイエス様は洗礼を受けたのでしょうか。

イエス様はまことの神:人の小ささ、弱さを超えて、人を包む力を持たれ、人を導く方。そして、人を罪から解放する方ではないのですか。その人の弱さをその人と一緒に見つめ、その人の苦しみを一緒に考える。そして、おおらかな心のうちに神様に祈る。弱いから、苦しいから、本当の自分を知ったらいい。弱い、苦しんでいる本当の自分から出発して歩いて行く。神様の恵みを祈りながら、歩き出そう。神様は人を超える方ではないですか。
イエス様はまことの人:イエス様は聞く方でした。イエス様は語る人でした。イエス様はたくさんの人と出会う方でした。疲れます。疲れたら体を休めます。のどが渇く、お腹がすきます。大いに飲みます。大いに食べます。しかし、殴られれば痛い。高いところから飛び降りることが出来ない。

その時、イエス様は思ったのでしょう。今日、わたしの生活の出発の時としよう。皆の前で神様の道を歩む宣言をしよう。そして、ヨハネの洗礼を選んだのではないでしょうか。
ヨハネは修道者の生活をしている。仲間を集めて修道生活をしていると思います。仲間と共に祈る。皆と一緒に聖書を読む。弟子の前で神様を語る。そして、毎日のようにヨルダン川の川辺に立ち、神様を語り、律法を語るのです。         
イエス様は皆と一緒に列に並びます。洗礼の儀式を待つ。ヨハネは一人一人の告解を聞き、頭を川に沈めます。この水になかで今までの自分の欲求、生活姿勢を殺すのです。今までのあなたを洗い清める。この命の水を受けて新しい命に生きるのです。
イエス様がヨハネの前に立った。イエス様の頭が川に沈んだ。
川から上がると、天が開け聖霊がイエスに降ってきた。
すると、天から声が聞こえた。「あなたはわたしの愛する子。わたしの心に適う者。」

愛する者よ、神様の恵みが現れました。それはわたしたちにとってイエス様の降誕、そして、洗礼ではないでしょうか。イエスはインマヌエルです。
イエスという名前は「主は救い」、「救いは主から」という意味があります。
インマヌエルは「神は我々と共におられる」という意味です。
「主は救い」ということは「神が共におられる」ということです。
わたしたち、わたしが神様と共にいることが出来れが、それが救いです。
イエス様がわたしと一緒にいる、それが救いです。

洗礼も洗礼の道を歩まなければ、ただの儀式です。成人洗礼を受けた方々、洗礼を受けた時の緊張を思い起こしてください。洗礼によって新しい世界に入ってゆく。その世界の中の道を歩んで行く決心があったように思います。 洗礼:出発です。人生の出発です。洗礼で心と体が新しく拭われ、清められます。新しい驚き、新しい発見があったらいい。
ロザリオの祈りの光の神秘、第1奥儀はイエスの洗礼です。大切な道を行く、生活をこの道にかける決心の儀式だと思います。神様が人となった。人の弱さを背負う、人の小ささを背負う救いをもたらす儀式のように思います。

以前にも話しましたが、洗礼の3つの道を思い起こしたいと思います。
祭司職 預言職 王職 です。



 主の公現  イザヤ
601-6 エフェソ323b5-6 マタイ21-12             22-1-2    

  今日は主の公現を祝います。公現:神様のみ旨の業がこの世に現れたことを記念する日です。

この祭日は東方から来たようです。イエスの受洗、カナの婚礼の最初の奇跡、そして東方の学者の幼子イエスへの訪問、この3つを記念したそうです。4C末に東方の学者のイエス様訪問が「主の公現」になっていったそうです。

すべての出来事に神様のみ心がある。
今日わたしたちに示された聖書の出来事を考えてみたいと思います。

 第一にエルサレムの出来事です。バビロニアによってユダ王国が滅ぼされた。力を持っていた王、官僚、政治家、商人、祭司たちがバビロンに連れて行かれました。エルサレム神殿は壊された。指導者がいない。人々は祈ることを忘れていった。信仰が消えてしまった。しかし、イザヤ書は言います。人々はバビロンから解放された。エルサレムを神様のおられる、信仰の都としよう。神殿を立てよう。エルサレムに戻った人々の中にある信仰の灯が集まったのです。エルサレムに光が生まれた。主の栄光がエルサレムの人々に現れた。主の栄光の光が輝いた。エルサレムが光の都になったのです。  



神の母聖マリア                                            
22-1-1

  明けましておめでとうございます。

新しい出発が始まる。扉が開かれた。歩き始めよう。今から、善い未来を造って行くのです。 

寒い冬の夜、羊飼いたちは野宿をしていた。空を見上げる。星が広がっている。神様はこんなに多くの星を造られたんだ、満天の星。その時、アッと思った。突然、光が広がった。天使たちが見えた。天使たちの声が心に響いた。「今日、ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになる。」羊飼いたちは言う。行ってみよう。神様の出来事を見よう。 

神様はみ心を知らせる人々に羊飼いたちを選ばれた。羊飼い、あなたたちは地位もない、お金もない、能力もない。しかし、あなたがたはいつも、神様を心に持っている。律法を知っているかい?神様のみ心が律法だと聞いている。けれど、ちゃんと話を聞いたことがないよ。
神様から離れてはいけない。あなたがたは神様と一番近いところにいる。

羊飼いたちはベツレヘムについた。小屋に入った。飼い葉おけに寝ている赤ちゃんを見た。父ヨセフ、母マリアを見た。小屋には平安があった。静けさがあった。喜びの光を感じた。羊飼いたちは天使の出来事を話した。マリアは熱心に聞き入った。マリアはこれらの出来ごとをすべて思い巡らします。  八日たった。幼子はイエスと名付けられた。

今日は世界平和の日です。
マリアの姿に平和があるのではないでしょうか。
 天使ガブリエルはマリアに主のみ言葉を伝えました。
マリアは答える。「わたしは主のはしためです。お言葉通りなりますように。」
マリアの言葉は信仰宣言だと思います。
わたしは聞く者です。主の道具です。おっしゃってください。いつでも、どこにいても主のみ心に耳を傾けています。

平和とは聞くことだと思うのです。
あなたたちの不満は何ですか。あなたたちの武力は何のためですか。
不満のある人は武力を誇る。ミサイルの数を誇ります。
まことの力は心の中にあるのではないですか。
聞く者になるのではないでしょうか。

新しい年を迎えました。
今日から、ゆったりと、静かに、力強く、一歩ずつ歩んでゆきたいと思います。