木更津教会の沿革 History of Catholic Church Kisaradu 1951年(昭和26年) 東京湾隣接地区埋め立て計画によってできた木更津海岸埋め立て地に敷地が購入され、小さな仮の教会堂が建てられた。 木更津教会の始まりである。 しかし、教会の基盤となる精神的歴史は遥か遠く、明治17年(1884)頃パリ外国宣教会の伝道師ビイーグルース神父、カディヤック神父の房総伝道に遡る。 川崎から帆船で木更津に上陸し、馬車と徒歩で房総を伝道された先哲の苦労と強靭なまでの信仰の深さによってその基盤が作られた。 1952年(昭和27年) 戦後の混乱期には進駐軍払い下げの蒲鉾兵舎が聖堂の時期もあったが、現在のマリア館に聖堂が建てられた。 1955年(昭和30年) その後、赴任した司祭と信徒たちの努力とアイルランドの兄弟の暖かい寄付により、現在の場所に聖堂が献堂された。 1997年(平成9年) 木更津教会はJR木更津駅西口を出て正面富士見通りを木更津港に向って徒歩七分ほど、古い商店街を抜けた所にある。 門を入ると右手に広い屋根に赤い瓦を頂いた木造平屋の聖堂がある。左手にある司祭館はこの年に建てられた。 聖堂はアイルランド人の設計士によるもので、その日本的なたたずまいは教会を訪れる方々の何物にも代え難い心の支え、憩いの場である。 祭壇と朗読台は落ち着きのある木製で、中央左手にはアイルランドに生まれた木更津教会の守護の聖人コールマン像、右手には幼子を抱いている聖母マリア像がある。 聖堂の壁面には色彩ガラスがはめ込まれ太陽の淡い光が差し込む。 現在、木更津教会の所属信徒数は450名ほどで近隣には新日本製鉄君津製鉄所等があり、九州の福岡や長崎などから家族共々転勤してきた信徒も多い。 木更津教会の組織・活動は毎月開かれている教会委員会で議論・決定され進められている。 次代を担う子どもの数の減少は教会も同様で大きな課題であるが、木更津教会では幼児教室が開催されており、近隣には久留里幼稚園もある。 |
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歴代の神父 History of Paris
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