復活の主日・復活の聖なる徹夜祭
創世記1・1,26-31a 出エジプト14・15-15・1a
エゼキエル36・16-17a、18-28 ローマ6・3-11 ルカ24・1-12
今日、今、わたしたちはイエス様の復活を祝います。復活を信じる、頭では分かっているのだけれど、親しい人との別れはどうしようもなく悲しい、苦しい。新しい命に入る、喜んで送ろう。花で囲んで、歌って送ろう。笑顔でさようならする。復活の命に入ってくれますように。本当にそのように願います。
素直に受け取ることが出来ない恵みにご聖体、御血がありました。パンがイエスの体になる。ぶどう酒が御血になる。理解するのではない。信じなさい。
パンとぶどう酒が人の世を離れて神様の世界に入るのです。司祭の言葉によって、パンがイエスの体に変化します。ぶどう酒がイエスの血に変化します。
理解するのではない、信じなさい。何億という信徒が皆信じている。神様の力による出来事です。 復活はいのちの出来事です。神様の力による出来事です。神様の世界に入ります。復活の出来事を信じます。パンとぶどう酒の変化、御体、御血を信じます。
わたしたちは洗礼を受けました。教会の一員となりました。今日パウロは言います。わたしたちはキリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けた。わたしたちは洗礼によって、キリストの体の一部となったのです。
キリストの道を歩みます。キリストと共に歩きたいと思うのです。
ふと考えました。わたしたちの生活は食事に似ている。食事と言ってもいろいろな種類があります。一人の食事、家庭の食事、学校の給食、会社の食堂。
そして、お年寄りは言います。昔は物があまりなかったし、わたしの兄弟はたくさんいたから、食卓におかずが並ぶと速いものがおかずをたらふく食べる。そんな毎日だった。
家庭の食事、お母さんの料理が並ぶ。それが楽しみだった。母は何でもたくさん作った。どの家もそうだったと思いますが、カレーが一番のご馳走だった。お腹がはちきれる食べた。学校給食もあった。今、一人で食べている。
生活によって食事が変わるように思います。
食事は食べる喜びです。時間がない人は食事が十分できない。そんな人もいます。食事は自分の体を作る大切なことです。自分の体を作る以上に味を楽しみます。味を求めるばかりに栄養そっちのけになってしまうこともあるそうです。
食事はその人を表しているのではないか思ったのです
食事をして十分休んで、外に出て行きます。食事から立ち上がり、外で人と出会うのです。或る食事の約束は、外に出て人と会うのです。
食事をして、自分の求めていることをする。わたしたちは知らないうちに食事をしているのです。食事を終えて、立ち上がって歩き始めるのです。自分を囲む人たちに出会う。見えないほど当たり前に食事をとっているのです。
生活している。生活に何を求めていますか。食事に何を食べたいと思っていますかと聞いているのです。
おいしいものが食べたい、でも、予算がないから普通のものでいい。生活に何かを求めたい。今の自分を考えてしまう。この毎日毎日の生活は何だろう。会社の食堂で仲間と語り合う。友人と外で食事して語り合う。何を求めているのか。やっぱり、自分の能力を生かせる世界があればいい。友と語らう。口だけだ。もっと大きく考えたい。自分を変えたい真剣に考えたい。
食事は出発の力を与えてくれるところではないですか。
一人の食事。自分を考える。人生を考える。そうだ、自分は洗礼を受けている。神様のみ心を考える。食事はわたしを支える恵みだ。食事の力を今の自分は台無しにしている。
家庭の食事。母親のわたしは、家族のみんなが自分の所属しているところを大切にしてほしいと思ってしまう。父さん元気で働いてね。子供たち、まじめに勉強してね。わたしは相変わらず家事をしている。家庭に危険なことがなければ、平安であればそれでいい。家庭に安住していると、人が見えなくなってくる。自分が外のことに参加しようとしない。自分を変えたくない。
家庭がどこを向いているのですか。家庭は今、眠っているのではないですか。家庭が平穏にくらす生活をして欲しい。冒険をしてほしくない。
神様は今日、わたしたちに叫んでいます。今のあなた。しっかりと目を開けて、自分の生活を見なさい。祈る時間を作ってほしい。神様を見つめてほしいい。
今、わたしたちはこの世、この社会に生きているのです。
洗礼の神秘を思い起こしたい。食事は神様からの恵みを食べているではないですか。今から、出発してほしい。食事で力をもらった。苦しんでいる人を見てみませんか。助けを求めている人のことを考えてみませんか。手伝ってほしい人がいます。話を聞いてもらいたい人がいます。
キリストの洗礼を受けたはキリストの道を歩みます。
キリストの喜びを味わっています。そしてキリストのいのちに入ります。