復活の主日 使徒言行録 10・34b、37-43 Ⅰコリント5・6b-8 ヨハネ20・1-9 20-4-12
ご復活おめでとうございます。
もう一度、主の復活の出来事を思い巡らしてゆきたいと思います。
ペトロは語ります。わたしたちはイエス様の証人です。イエス様の言葉、行いに神様が共におられた。しかし、わたしたちはこの方を木にかけて殺してしまった。律法では、木にかかって殺された者は神に呪われていると書かれている。しかし、神様はこのイエスに、殺されてから三日目に復活の命を与えられました。イエスは神様と共に、文字による律法を超えたのです。わたしたちは復活したイエスと食事を共にしました。わたしたちはイエスの出来事を告げ知らせます。この世には悪いパン種が蔓延している。パン種によっておいしいパンが食べられる。しかし、悪いパン種―古いパン種、悪意と邪悪のパン種が働いている。善いパン種を求めなさい。善いパン種を造られる方、善いパン種を蒔く方、それがわたしたちの主イエス様です。
過越しの食事に、パン種のないパンを食べた。
イエスは言われた。ここにわたしのパン種を入れる。まことのパンを食べなさい。
人々は言います。その者がわたしたちの生活を変えようとしている。自分が王となってわたしたちを支配しようとしている。イスラエルの最高法院は言います。その者の信じている神はわたしたちの神ではない。その者によってエルサレムは動揺している。動揺が広まれば、ローマ軍が入ってくる。大祭司カイアファが言います。その者を亡き者としよう。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方があなたがたに好都合とは考えないのか。(ヨハネ11・48~)
その方が反逆者として捕らえられ、苦しみの内に十字架につけられて殺された。その方イエスが葬られた。
週の初め、朝早く、まだ暗いうち、マグダラのマリアは墓に行った。主のご遺体がない。弟子のところに走って行った。主がおられません。どこに置かれたのか分かりません。弟子たちも墓に行った。主はおられなかった。
主はこの世にはおられなくなった。二人の弟子とマリアはそれを心の留めた。
イエスの復活をまだ理解していなかったのである。
ペトロは宣言します。イエス様こそ神様の力の内にいる。イエス様こそまことのパン種。
イエス様は新しい命をわたしたちに示された。
イエス様は復活された。
ペトロはイエス様の復活を宣べ伝えます。
わたしたちもイエスの復活を大いに喜び、語って行きたいと思います。