復活節第2主日C(神のいつくしみの主日) 22-4-24
使徒言行録5・12-16 黙示録1・9-11a、12-13,17-19 ヨハネ20・19-31
わたしたちの主イエスが捕らえられ、死刑の判決を下された。十字架にかけられ、命を奪われた。わたしたちは主をなくした。ユダヤ人の敵となった。自分たちの家の戸に鍵をかける。誰も家に入れない、誰とも会いたくない。恐ろしい。 しかし、イエスを忘れる事は出来ない。週の初めの日の夕方、弟子たちは集まっている。主がいない。指導してくれていた、温かく包んでくれていた、神様の世界を語ってくれていた、律法、掟を語ってくれていた、いのち
とは何か、愛とは何かを語り示された主がいない。この世の力ある者によって殺されてしまった。弟子たちは暗黙のうちに集まっている。
そこへ、イエスが来られた。真ん中に立たれた。そして言われた。「あなたがたに平和があるように。」閉じこもってはいけません。敵に囲まれているのなら、敵の中に入って行きなさい。敵とどのようにつながれるかを考えなさい。平和とはつながりです。平和とは喜びを共に味わう、苦労を共に味わうことです。
神様は律法を守ることを求めているのではない。出会う人とつながり合って、語り合って、一緒に歩くことではないですか。
弟子たちはイエスを見た時、叱られるのではないかと思っていた。あなたたちはわたしを捨てて逃げてしまった。わたしはあなたたちの何だったのですか。―そんなお叱りを受けるばかりだと思っていたのです。しかし、イエスは言われる。また会えたね。また、一緒に神の道を歩いて行こう。
イエスは重ねて言われます。わたしはあなたがたを遣わす。外に出なさい。人々と出会いなさい。人と語り合いなさい。人の手助けとなりなさい。
この集まりにトマスはいなかった。他の弟子たちは言う。「わたしたちは主を見た。」「何を言っているのか。あの方の手に釘の跡を見、この指を入れて見なければ、この手をわき腹に入れて見なければ、わたしは決して信じない。」
八日の後、弟子たちはまた家の中にいた。トマスも一緒だった。イエスは言われる。「あなたがたに平和があるように。」そしてトマスに言われた。「トマス、手を伸ばしわたしの釘跡に、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 トマスは信じる者となった。
霊によって行われる?言葉に霊による力がある?それを信じるというのか。わたしは見える現象、見える出来事によって判断する。
「霊によって行われる」という仲間を信じるというのか。その仲間がわたしよりも良い業をたくさん行っているのなら信じるかも知れない。
トマス、仲間を信じなさい。仲間と一緒に歩く、一緒に生活をするのではないですか。神様は天地万物を創造された。神様はみ言葉によって、み心によって創造されたのです。イエスのみ心を信じます。み心の業を信じます。み言葉を信じます。み心がみ言葉になって業が示される。
信じ合える仲間、一緒に歩める仲間を得ることが出来ますように。
新しい出発の時が与えられた。
平和を作って行く。
社会を作って行く。
仲間を作って行きたいと思います。
イエスの道を歩みます。外に出て行きます。