主の昇天C 22-5-29
使徒言行録1・1-11 ヘブライ9・24-28,10・19-23 ルカ24・46-53
イエス様が天に昇られた。今日、主の昇天を祝います。
イエス様がわたしたちの所から去ってしまう。もう会えないのですか。もう話を聴けない。触れることが出来ない。イエスは言われます。今から後、ずっと、わたしの証人となりなさい。 イエスは言われます。わたしにかかわる出来事を全て受け止めてほしい。その出来事を自分の心と体でしっかりと受け止めるのです。恐れ、逃イエスはげてはいけない。
イエスの出来事。イエスの毎日は、朝早くから、街に出て、神殿の境内で、人々に語りかけるのです。街に出て人と出会う。神様の優しさ、厳しさを語り、慰め、励まし、赦しを施します。病を癒し、悪霊を追い出します。イエスは人の心の奥底にある罪の思いを受け取り、一緒に苦しみ、悲しむのです。人々をおおらかさで包む。間違った?だったら神様に「ごめんなさい」を言いなさい。あなたも神様から命を注がれているのですよ。
しかし、ついにはこの世の力に捕われるのです。鞭打たれ、茨の冠をかぶせられ、人々の憎悪の中で、十字架を担いで、ゴルゴタへの道を歩きました。石が投げつけられ、罵声を浴びました。そして十字架に釘付けされ、命を落とされました。イエスは亡くなったのです。十字架刑―命が亡くなるまで十字架の上で苦しむ、見世物となるのです。
イエスの出来事の証人となる。イエスにかかわりを持つものたちがイエスの周りに集まってくる。イエスのもとに集まって来る人々。そして反対に、イエスを攻撃する者たち、イエスを苦しめる者たち、その力、この世を動かしている権威、その力、その力を持つ者たち、それについて行く人々。人々に生活がある。一つづつ見つめなさい。
そして、イエスの出来事の証人となるのです。神様のみ心を知る。
逃げてはいけないと言いました。それは、あなたはこの出来事の中にいるのです。あなたはこの人々のどこにいるのですか。イエスについて行きたい。しかし、面倒に巻き込まれるのは嫌だ。この世のうちに、苦しくても普段の生活のうちにいたいのではないですか。
イエスは命を捨てられました。命を捨てた?いや、人の罪を清めるために、命をささげられたのです。死なれた。イエスは三日の後、死者の中から復活されました。その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが与えられました。
またヘブライ書で言われます。イエスの肉が聖所の垂幕となる。垂幕が開かれる。神様と出会う。神の道を歩き始めるのです。垂幕がイエスの肉。イエスの姿の中に入りなさい。わたしの肉と血が神殿の垂幕です。わたしの肉を食べなさい。わたしの肉を食べた時、わたしの中に入った時、あなたの心は、あなたの体はわたしのものになる。
わたしは昇天する。わたしは人のうちにあって人を超える。わたしはあなたの中にあってあなたを超えている。あなたはわたしを遠く見つめながら、わたしと一緒に歩く。
神様を、イエス様を見つめます。天を見上げて祈ります。
御言葉を語ります。助けを求めている人のために働きます。