年間第13主日C 22-6-26
列王記上19・16b、19-21 ガラテヤ5・1,13-18 ルカ9・51-62
今日、預言者について考えたいと思います。わたしたちは洗礼を受けています。洗礼を受けた時のことを思い出したいと思います。神様と出会った。神様の世界を知った。新しい世界に入る。イエス様の出来事を知った。愛の大きさを知った。命の尊さを知った。
洗礼は洗礼の道の出発点です。イエス様のことば、思い、行いを、心に留めます。イエス様の姿を見つめ、その道を歩んで行くのです。入門講座で勉強したと思いますが、洗礼の道には3つの道があります。一つは預言職の道。第二は祭司職の道。第三は王職です。
今日、聖書は預言職について語っていると思います。
第一朗読・列王記を読みます。主はエリヤに言ました。エリシャに油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。エリヤは旅立った。畑を耕しているエリシャに出会った。エリシャはエリヤを見つめた。エリヤを知った。エリヤは外套を彼に投げかけた。これは自分の使命を与えましょうという「しるし」だそうです。エリシャは言う。「わたしの父、母に別れの接吻をさせてください。」エリシャは牛を取って屠り、肉を煮て、人々に振舞った。エリシャは立ってエリヤに従った。 父さん、母さん今までの生活を感謝します。支えてくださった仲間たちに感謝。今から、神様のものになります。これまで自分の生活を楽しませてくれた自分の自由から離れ、自分が豊かに生きた自分の自由から離れ、神様の自由のうちに生きます。
まことの自由:与えられた自由をあなたは自分のために使っていた。まことの自由は、神様から与えられた自由は、隣人のために使うのです。人のために働く、それが本当の自由です。自由は楽しむために働くのではなく、苦しんでいる人のため、悲しんでいる人のために働くことです。苦しむこと、悲しむこと、それを見つめる、それが本当の自由です。その自由を得た時、本当の、温かさ、本当の喜びを知ることが出来ます。
預言者、本当の自由に生きます。神様のみ言葉を語ります。神様のみ心を行います。
イエス様はエルサルに向かう決意を固められた。天に上げられる時を知ったのです。
サマリアの村に入った。サマリアの人々はイエス様を歓迎しなかった。 ヤコブ、ヨハネはこれを見て、「主よ、お望みなら天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」と言った。 「悲しいかな、わたしたちの姿は嫌がられている。堂々と進むばかりである。怒ることはない。」
一行が道を進んで行くと、ある人がイエス様に声をかける。あなたがおいでになるところなら、どこへでも従ってまいります。」「わたしと一緒に歩いても、寝るところが十分あるわけではない。食事も十分とれるわけではありません。あなたは何をもとめているのですか。」 イエス様はある人に声をかける。「わたしに従いなさい。」「主よ、父を葬りに行かせてください。」「葬儀の集まりに出かけるのですか。死んだ人を懐かしむ世界から離れなさい。あなたはまことの命の世界を語りに行くのです。あなたのお父さんを神に国に迎えるのです。」 別の人も言います。「主よ、あなたに従います。まず、家族にいとまごいをさせてください。」「神の国への出発です。後を顧みる者は、その心はふさわしくない。」
イエス様のエルサルへ向かう旅は命をかけた決意なのです。すべてを捨てて、無残な死の姿を置いて行くのです。イエスと共に歩こうとするものは、今までの自分をはっきり決別しなさいと言われるのです。
わたしたちはイエス様によってまことの自由を知った。今までわたしたちは自分のために自由に振舞っていた。欲求が起こる、自由に手に入れる。遊びたい、自由に遊ぶ。腹が空いた。自由に食べる。美味しいものを自由に食べる。体の求めるものを自由に求めていた。
体の求めるものはまことの自由ではありません。欲求を超えて心が求めるものに、隣人の必要があります。隣人の求めるものを与えられたらいい。それを得るための思いが自由です。隣人を知る。人とのつながりを知る。愛を知った時の働きがまことの自由です。
その人の命のために働く。それがまことの自由の力です。命の働きは愛。愛のめに働く。それがまことの自由。隣人のために苦しむ、隣人のために涙する、それが自由です。
まことの自由、まことの愛を知り、預言者の道を歩みたいと思います。