年間第14主日C 22-7-3
イザヤ66・10-14c ガラテヤ6・14-18 ルカ10・1-12,17-20
主イエスは72人を任命し、2人ずつ宣教に派遣されました。福音を宣べ伝えなさい。福音とは、命の大切さを語ることです。わたしたち一人一人が命のうちに生きている。生き生きと生きる命をもらっている、支え合って生きる。苦しんでいる人がいたら、助け合うのです。独りで生きることが出来ない人がいたら、支え合うのです。不自由な人を手伝う、自分の兄弟が不自由な人だと思えばいい。主は言われます。「神の国を宣べ伝え、病人を癒しなさい。」病人が癒され、喜んで生きる。皆、喜んで生きるのです。
平原を見る。平原に木々が茂っている。豊かに実を結んでいる。平原は収穫が多い。しかし、収穫する働き手が少ない。わたしたちの社会は平原です。
収穫とは実を得ることです。善い実を得る。語り合う。出会う人とつながることです。知り合いとなる、友人となる。兄弟となることではないでしょうか。
働き手が少ない。出会って、実りを得た人たちが働き手になったらいい。そのお父さん、お母さんの子供たちが働き手になる希望を持ったらいいと思うのです。
平原は狼の住みかだと言われます。平原は収穫の多いところではないのですか。狼が住んでいる。狼は言います。豊かな実りを結ぶ。豊かさを味わう。強い者が自分の力で自分の思いの世界を造る。自分の思い通りの、豊かな、好きな世界を造る。強いものになりなさい。弱い者を助ける?なぜ弱い者のために損をしなければならないのか。強くなって自分のために働きなさい。自分自身のために苦労するのです。平原が戦う場。欲求の戦う場。
宣教のために旅に出る。宣教は人のために働くのではありません。えっ、人のためではないのですか? 宣教は神様のために働くのです。なぜ、人のためではないのですか。
人が人のために働いたら、人のためにならない。本当に人を生かすためならば、神様のために働くのです。神様のために働くことが人のためなのです。
「俺は今、お前のために働いているんだ。感謝しろよ。」
「いや、あなたの世話になるのなら、不自由なまま過ごします。」
「お前はこれがなくて不自由している。恵んであげるよ、お前の兄貴になってあげるからな。」「いや、不自由でも自分の力で生活して行きます。」
強い国が弱い国へ莫大な援助をする。弱い国は強い国へ頭が上がらなくなってしまう。
病院に寄付をする。施設に寄付をする。体の不自由な人のために寄付をする。
学校に行けない子供のために寄付をする。
寄付を求めている施設がたくさんあります。
可愛そうだから寄付をするのではありません。
恵んでやるという思いで寄付をするのではありません。
昔、外国に旅行に行くと、食事をしていると、貧しい子供たちが「バクシーシー」と言って、お金を求めに来ます。お金をあげるとすぐ走り去ります。お礼を言わない。日本人はそれを怒ります。礼儀知らずだ。子供たちは思っています。お金をくれるのは、お金に余裕があるからだ。もらうのは当たり前だ、
富を持っている者は、その持っている富を自分のためでなく、隣人のために使いなさい。力のある者はその力を、求められているところに使いなさい。
一緒に生きるためです。支え合って生きるためです。
皆、神様の兄弟姉妹、神様の子供だから、助ける。支え合う。損をして当たり前。
わたしたちは十字架のほか誇るものがない。
イエスの焼き印を身に受けているのです。
み言葉を噛みしめて歩きます。