年間第16主日C 創世記18・1-10a コロサイ1・24-28 ルカ10・38-42 22-7-17
「必要なことはただ一つだけである。」
わたしは33歳で洗礼を受けました。それまでいろいろな仕事をしてきました。最後は機械製図の仕事です。設計事務所に籍を置いて仕事をもらっていました。大きな会社に出向という形で出向くこともありました。ある時、履歴書を書かされました。年齢、何年図面を引いているか。あんたは結婚していると書いてくれ。子供は一人いることにするよ。時間の賃金が違ってくる。そんなこともありました。サラリーマンのように出勤する。残業は率先して行う、お金を稼ぐのです。サラリーマンにはなりたくない。自由に仕事をしたい。お金を稼いで何をしたいのか。何もなかった。何のための生活か。何を求めて生きるのか。裕福な生活をしたいとおもっているわけではない。日々の重さがないと気づいたのです。生きている、必要なことは何ですか、と問われたと思うのです。教会の勉強をしたいと思うので、事務所を辞めますというと、どんな生活をするんですか、収入はあるのかい?と聞かれます。お金のない生活は考えられない。今までの社会の生活は、すべての事を、お金で計っている。知識で計っていると思ったのです。 神学校に入りました。お金が大切でない世界。知識、技術で計られることのない世界に入りました。 「必要なものはただ一つだけである。」生きる、命を生きる。神様に向かって生きたいと思うのです。
今、統一教会の話が出ています。今から、40年ぐらい前の事です、佐世保出身のカトリックの信徒の親戚の青年が統一教会に入ってしまったという話がわたしのもとに来ました。家族が、親族が大騒動になっている。青年と会って話を聞いてくれないか。佐世保の信徒は教会の仲間です。青年と会った。青年を連れ出すのも大変だったようです。その人の家に行きました。その青年と会いました。青年はわたしの目を見ようともしません。今どんな生活ですか。宣教しているのですか。返事がない。青年は話をしたくないようです。キリストの話、聖書の話をしました。青年はわたしの話が始まると寝始めるのです。青年の心は閉ざされていると思いました。そんな話は、あなたに快い話をするのは悪魔の力ですと言われていると知りました。統一教会の声だけを聴きなさい。ちょっと疑問です。あなたは今、平安ですか。人とどのようにつながっているのですか。友達と一緒に喜びを祝えないのですか。自分一人で自分のことを考えないのですか。 統一教会はお金を強烈に集めています。自分の救いをお金で買っているようです。
統一教会の中にいるあなたは何ですか。
マルタ、マリアの家にお客さんが見えた。イエス様が見えた。マルタ、マリアは喜んだ。マルタはお客さんのもてなしのために忙しく働き始めます。日本だったら、お膳を片付けてお茶を出す。お茶菓子を用意しましょう。果物を剥きましょう。マルタは忙しく働いている。ふと、マリアを見る。マリアはイエスの足元に座って、じっとイエスの話を聞いている。マルタはイエス様に言います。「わたしの妹はわたしにだけもてなしをさせています。少しも動こうとしない。働こうとしません。何ともお思いになりませんか。手伝うように おっしゃってください。」「マルタ、マルタ。あなたは多くの事に思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」 イエス様のマルタ、マリアに求めていることは何ですか。イエス様はマルタ、マリアに会いたかった。話を聞いてもらいたかったのではないでしょうか。