年間第17主日C 創世記1820-32 コロサイ212-14 ルカ111-13   22-7-24

  弟子たちがイエスに言います。主よ、わたしたちにも祈りを教えてください。わたしたちもヨハネの弟子たちのように、集まって、皆で一緒に祈りたいのです。イエスはこれを聞いて喜んだのです。祈りたいと思っている。皆の祈る心が芽生えた。祈って神様に向かって行く。その心をイエスは待っていたのです。

弟子たちは自分たちの命を考え始めたのです。神様からいただいた命を喜ぶ。神様は父さんだ、神様を愛する。イエスは言われました。神様を愛するとは自然愛すること、人を愛することです。心から神様と接する。神様とつながる。祈りたい、神様とつながりたいと深く思ったのです。

 

イエスは祈りを教えられました。「主の祈り」を教えられました。

「父よ、あなたを見つめます。御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちは何をなすべきか恵みをお与えください。わたしたちの罪を赦してください。わたしたちも、わたしに悪を行った相手を赦します。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。」

 

イエスはこんなたとえを話されました。

あなたの願いを何でも叶えてくれるのが友達ですか。そんなうまく行かない。夜遅く急に来て、そんな申し出は受け入れられない。わきまえを持って、接してほしい。そんな出来事もあります。本当の友達ならば、ある出来事の、自分の思いを決しては外せなければ、求めている事を執拗に頼めば、心が通じる。与えてくれる。しかし、友達だからということではなくても、命のかかわる事ならば、どのような時でも、頼みを聞いてくれる。

 

求めなさい。執拗に求めなさい。あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良いものを与える。わたしたちの天の父は、命の父さんは、求める者に聖霊を与えてくださる。

 

赤ちゃんヨハネが命に危うい病にかかりました。命の余裕がない。母はヨハネをアシジのフランシスコのもとに連れて行きました。フランシスコがヨハネを胸に抱きます。祝福します。するとたちまち重病が治ったそうです。みんな喜んだ。叫んだ。「ボナベントゥーラ」良いことが訪れた。癒しを与えた人はアシジのフランシスコ。これからも、この子には良いことが起こります。この子に皆の願いが始まりました。ボナベントゥーラは幼児期の奇跡の回復を片時も忘れませんでした。この青年がフランシスコ会総長になったボナベントゥーラです。 命とは何ですか。何をするために生活しているのですか。

 

お年寄りのご夫婦が毎日聖堂で祈っています。ある旅人がこのご夫婦に出会いました。ご夫婦は旅人に願います。わたしたちには子供がいません。年老いていますが、子供に恵まれたら、それは、それは可愛がって育てます。毎日、神様に子供を下さるよう、願ってお祈りしています。それならわたしも祈りましょう。きっと叶えてくださいます。

そして、ついに子が生まれました。お年寄りのお父さん、お母さんは、それは、それは大切に子を育てます。子供が王様です。でも我儘に育ってしまった。45歳になると、お父さん、お母さんの言うことを聞かない。悪い子になった。外に出て乱暴するようになったのです。お父さん、お母さんは嘆きました。毎日、祈ります。わたしたちを助けてください。ある時、あの時の旅人と出会います。どうしたのですか。5年前に生まれた子が悪いことをするようになりました。あなたの求めた良い子は、自分たちにとっての良い子だったのですな。それは神様にみ心ではなかった。神様の恵みが、悪いものになってしまった。子供さんと一緒に祈ったら良いのではないですか。

命とは何ですか。何をするために生活しているのですか。

 

キリストの道を歩みたい。

命の大切さが、歩く道の出発点になったらいいのだと思います。