年間第19主日C 知恵18・6-9 ヘブライ11・1-2,8-19 ルカ12・32-48 22-8-7
奴隷の民イスラエルがエジプトから脱出する。そんな事は出来るはずはない。エジプトは力のある国。奴隷がどうやって脱出するのか。いや、この出来事は神様のみ心だ。神様が業を示される。神様の奇跡が、敵への滅びの力がイスラエルを救う力、イスラエルの喜びの力、栄光の力となる。神様の思いを、心を合わせて受け止めた。イスラエルが神様のもとに一つに集まった。神様の道を歩むものとなった。神様とつながったのです。
この間テレビを見ていました。その番組は「障害者もゲームを楽しめ」というものです。屋外で二人の男が戦うゲームがあります。ある人がそのゲームをします。その人は強いのです。相手を打ち負かします。しかし、その男の人は全盲です。目の見える人と戦って勝つのです。目が見えなくてどうして相手の動きが分かるのですかと聞くと、音を聞くと言います。相手が打ってくる。相手が飛ぶ。それぞれ音がある。その瞬間にこちらのボタンを押す。目の見える人よりも速く攻撃できる。そして言うのです。見えない僕が見える相手をやっつけることができる。こんな爽快なことはない。目が見えなくてよかった。
ある19歳の少年は右腕しか使えない。その少年も一つの手で操作をするのです。銃を撃つゲームがあります。近くの的、遠くの的を撃つ。速くてうまい。障碍者ではない、障害者と思っていないのです。与えられた体で自信をもって動いている。見ていてうれしかったのです。
イエスは言われます。あなた方の住んでいるところを神の国としなさい。人の世が求めている社会ではない、支え合う社会にするのです。自分の持ち物をそこに住む人たちのために使いなさい。あなたに与えられている尽きることのない富を天に積みなさい。あなた方の富のある所にあなたがたの心もあるのです。
「腰に帯を締め、灯をともしていなさい。」自分の世界の中に閉じこもるのではなく、立って出かけられるように準備をしていなさい。目を覚ましていなさい。明かりを用意していなさい。主人はいつも待っていてくれる人に感謝しているのです。僕(しもべ)たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれます。主人が食事の世話をしてくださる。こんなことは滅多にない。主人は喜びのうちにいる。 わたしたちは主人の言葉を、神様の言葉を待っている僕(しもべ)ではないでしょうか。
洗礼を受けた。神様がわたしを呼ばれた。この今の自分を神様の世界に導かれたのです。ミサは神様との会食だと知りました。わたしと一緒の食事をしてわたしと一緒に神様の道を歩みましょう。神様はわたしを見つめておられる。わたしも神様を見つめている。
神様は洗礼を授けたいと思っている人を、ずっと待っておられたのだと思います。その人のために待っておられた。ある人は洗礼のために30数年かかったと言います。待っててくださったことを感謝するのです。
わたしたちも待つ人になりたいと思います。いつも文句を言う人がいる。反対意見を言う人がいる。その人は、きっと、神様があなたに待つことを教える人となさった、そう思ったらいいと思います。その人と意見の交換するのではない。その人の反対の心を聞くのです。その人の反対の意見の心、不満の意見の心を受け止めたいのです。
待っていてくださる神様の感謝。わたしたちも待つ人となりたいと思います。