年間第23主日C 知恵9・13-18 フィレモン9b-10,12-17 ルカ14・25-33 22-9-4
今日は「被造物を大切にする世界祈願日」です。被造物をあまり気にしていないわたしたちに、人を包み囲んでいるこの大自然の世界を心に留めなさいと言われているのです。
わたしたちは人にばかり気にして生活しています。あなたに声をかけているのはむしろ、自然ではないですかと気づかされます。
神様は天地万物をお創りになった。光を造り、天地を造られた。草木を造り、太陽、星を造られた。動物を造り、そして最後には人を造られたのです。わたしたちは自然に包まれている。自然の力に支えられ、自然の中に生きていると思うのです。その自然は動物、植物のように生きている世界です。わたしたちは動植物のように生きている世界以上に、石、鉄、水、油など、生きていない世界も考えたいのです。その者たちも同じように生きていると考えたいのです。生きているとは、今ここにあるということです。ここにつながり合ってある。その場所に、その時にある。物は生まれ、生き、そして消ええてゆく。その場
所を決めたのは神様、そこにそのままいられるのは神様の力、そして消えてゆくのは神様の力だと思うのです。そして、その物にわたしたちも大きな力を受けていると思うのです。
例えば、山がある。その山はわたしの小さい頃からあそこに聳えている。山によって天候が変わる。川がある。川で遊ぶ。川で蛍狩りをする。小さい舟に乗せてもらう。
海、大空、山や、川は、わたしたちにもっともっと大きな影響力を持っていると思うのです。 神様は、ご自分にかたどって、ご自分に似せて人を造られました。その時に言われたと思います。わたしは人に、生まれた時から良い心を与えている。そのよい心とは、人を包む自然のために働く心、一緒に住む仲間のために働く心です。
人の世が荒れてきました。人と人が争うようになったのです。「人よ、あなたたちは人のために、仲間のために働き合うのではなかったのですか。」神様は悲しみました。また自然が荒れてきました。人が利益のために、顧みず自然を壊し採掘、伐採を繰り返すからです。
人の世界は便利になってきた。ある人は言います。「わたしは人を使って不便なところを便利にしてきた。わたしは人の力を使って大量生産に成功した。」物が多くなった。便利になった。商売がうまくなった。人々の欲求が満たされるようになった。
ある人は言います。「今日は何もしなかったよ。特別な用もなかったからさ。」イエスは言われます。「自然の世界は、皆、どんなものでも働いている。働かなかったら生きて行けない。小さな虫でも、働かなかったら食べ物を得られない。大きな山も、風に吹かれている。雨に濡れている。暑さに耐えている。冬には寒さに耐えている。自然の大きな力のうちにすべてのものは、一つ一つ自然に力を味わっているのです。自然の一つ一つは毎日命を懸けて戦っているのです。人の世界を見なさい。あなたは何もしないと言う。あなたは何も見ていないのではないですか。静かに世界を見なさい。」「何があるのですか。」「今でも飢餓に苦しんでいる人がたくさんいます。病気で苦しんでいる人がたくさんいます。肌の色で差別されている人がたくさんいます。体の不自由な人が命のために苦しんでいる、そういう人がたくさんいます。その中に入ったらいい。不自由が分かる。その人たちのために、その人たちの命のために働いたら嬉しい。」
イエスは言われます。「自分の十字架を背負ってついてきなさい。不自由にされている人の中に入りなさい。」「わたしの十字架とは何ですか。」「イエスの道を歩む。それが十字架の道です。」 人が生きるために、人を愛するために、自分の命をささげられた。
命の尊さを示すために、愛の尊さを示すために命をささげました。
自分の命を懸けて、隣人の命のために働く人はわたしが見える。その人はわたしと共に歩いています。
わたしと共に歩く。命のために歩く。命のために苦しんで、命を喜びたいと思います。