年間第23主日C                            22-9-11 

出エジプト327-1113-14 テモテ112-17 ルカ151-10

 イエスのところに徴税人、罪びとたちが集まっています。丁度、昼時だったのでしょうか。イエスのところが会食になっている。イエスを中心に弟子たち徴税人、罪びとたちが食事をします。ファリサイ派の人々律法学者たちは言います。「イエスは罪びとたちを迎えて、食事まで一緒にしている。」

 

会食はなごやかな時です。神様からの恵みを味わう。ぶどう酒を飲む。それ以上に仲間同士、互いに話をする。徴税人、罪びとたちは話をする仲間がいない。楽しく笑いながら話をする時がない。今日、この時、イエスの会食にあずかった。イエスの会食でのびのび自由に話をする。こんな嬉しいことはない。こんな楽しいことはない。

 

会食は信頼する者の集まりです。特に助け合う者の食事です。

ファリサイ派の人々や律法学者たちは言います。「イエスは徴税人、罪びとの仲間か。徴税人、罪びとを応援しているのか。」

 

イエスはたとえを話されたのです。あなたがたの仲間に、100匹の羊を持っている人がいて、その1匹がいなくなったとしよう。羊飼いはその1匹を探したい。99匹を残して、その1匹を探し行けるだろうか。99匹を野原に残して行かなければならない。そうすると、羊は悪い人に盗まれる、狼に襲われる、もっと大切なのは99匹がまとまって、羊飼いなしで、静かに待っていられるだろう 羊飼いは何としても探し出す。そして、見つけたらその羊を抱きしめる。どうしたんだ。皆と一緒に歩けないのか。

皆に言う。1匹が返ってきた。一緒に生活してくれ。

 

罪びとは1匹の羊ではないか。罪びとの心に何があるのだろうか。罪びとは苦しんでいる。その苦しみを考えてやれないだろうか。罪びととつながることが出来ないだろうか。

徴税人。皆からの嫌われ者。社会がローマの支配下にある。その手助けとなっている。

その者も生きている。生きたい。その者も生きる安心が欲しい。仕事をやめる、辞めない。それを静かに本人が決められればいい。その人を、その不幸な仕事のために一人ぼっちにしてはいけない。 わたしたちみんな、一人一人神様の命のうちに生きている。

それを考えたいのです。苦しんでいる人が安心を得る。それが一番の喜びです。神様の喜びです。

 

イエスは会食をなさる。徴税人、罪びとの仲間と一緒に食事をなさる。イエスは徴税人、罪びとの仲間ですか。イエスは言われます。わたしは徴税人、罪びとの世界に入って食事をするのではない。徴税人、罪びとがわたしの世界に入って食事をするのです。

会食は、食事の喜び、会話の楽しさ、笑顔の時です。その時、その世界を感じる。その時、心が清くなるのではないでしょうか。