年間第31主日C 22-10-30
知恵11・22-12・2 Ⅱテサロニケ1・11-2・2 ルカ19・1-10
エリコに徴税人の頭ザアカイという人がいた。金持ちであった。ザアカイはイエスの名を聞いていた。イエスがこの町に来るという。イエスに会ってみたいと思った。イエスは、神様のみ心をもってイスラエルのわたしたちを指導している。人々の苦しんでいる心、悲しみを受け取ってくれる。病を癒してくれる。ザアカイはそんな話を耳にしていたのです。 イエスが来た。周りにたくさんの群衆がイエスを囲むように一緒に歩いている。ザアカイは見ることが出来ない。皆より、背が低かったからです。ザアカイは背が低かった。見るほどの背丈がない。 背丈とは:知識がない、信仰の大きさがない、信仰を持っていない。あなたは徴税人ではないですか、そんな事を言っているように思います。 ますますイエスに会いたくなった。ザアカイは走った。先回りをしていちじく桑の木に登った。(いちじく桑:木の葉は桑に、実はいちじくに似ている。10数mの高さ、登りやすい。)イエスはその場所に来ると、上を見上げ、言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日はあなたの家に泊まります。」 ザアカイはイエスと出会ったのです。
それを見た群衆は言う。ザアカイは徴税人ではないか。イスラエルの裏切り者だ。罪深い者だ。
ザアカイは言う。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人に施します。誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言う。「今日、救いがこの家を訪れた。」ザアカイがわたしにとっても喜びとなった。失われた者を見出したからだ。
入祭唱の詩編(38・22-23)を読みました。この詩編にザアカイの心を読んだのです。
「神よ、わたしを見捨てることなく、
わたしから離れないでください。
わたしを顧み、助けてください。」
ザアカイは思います。わたしはユダヤ人です。昔、本当に昔、母さんから、父さんから神様の事を聞きました。しかし、それは遠い出来事。心の奥にしまわれていた。今、会堂に行けない。神様の事を話す機会がない。そんな心のうちに生活を送ってきた。イエスの話を聞いた。イエスの出来事が心に響いた。イエスの名が心の奥を開いたのだと思います。
わたしたちは何を見ているのでしょうか。ザアカイを見ていた。ザアカイの姿はわたしたちの目の前で変わった。イエスを見ている。わたしたちはイエスの何を見ているのでしょうか。
人々は、皆はザアカイに何を見ていたのでしょうか。ザアカイと話をしたこともない。あいつは徴税人の頭だ。贅沢な生活をしている。イスラエルの裏切り者だ。会堂に来ない。あいつは神様から遠い。
あなたの目は何を見ていますか。あなたの信仰の目は、あなた個人を救うための目ではないでしょうか。
あなたの心は、あなたの目はイエスを見ている。あなたは聖書で働くイエスを見つめ、話を聞いている。イエスの言葉、行いのうちに神様のみ心がある。そのみ心の世界に入って行きたい。イエスはわたしたちのその心見抜いておられる。楽しい事を笑って喜ぶ。悲しいことに涙する。気落ちしている人に励ます言葉を語る。
わたしたちは聖書のイエスを見ている。遠く離れたイエスの姿を見ているのではないでしょうか。
「イエス様、後に従って行きたいのですが。」
「わたしがあなたと共に歩きましょう。」
兄さんと歩くように、兄さんと一緒に生活をするように。
イエス様に心を開いて、歩く、生活するのではないでしょうか。
今の生活をイエス様と一緒に歩くのです。