年間第32主日C 22・11・6
Ⅱマカバイ7・1-2、9-14 Ⅱテサロニケ2・16-3・5 ルカ20・27-38
第一朗読マカバイ記には厳しい、悲しい殉教の出来事が語られます。母親と7人の兄弟たちがむごい仕打ちを受けた。頭の皮をはぎ取られた。肉を削がれ、意識のあるうちに火に投げ入れられた。7人の兄弟たちは心を強くして死んでいった。一人一人、言うのです。
「わたしたちは神様のうちに生きている。神様に背くぐらいなら死ぬ用意は出来ている。」
「わたしたちは、あなたがたに命を奪われても、神様は再び立ち上がらせてくださる、という信仰を持っています。」 彼らはこの世の命を超えて神様の命に生きる、その信仰のうちに、肉体の苦しみの時に、死の時に、今あるのです。
復活を否定するサドカイ派の人々何人かがイエスに近寄って尋ねます。
ある家の長男が嫁を迎えました。しかし、子がないまま死んでしまいました。次男、三男と次々この女を嫁にし、七人の兄弟皆が、この女を嫁にしましたが、皆、子供を残さないで死にました。復活の時、その女は誰の妻になるのでしょうか。
イエスは答えられます。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしい者とされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。」
わたしは、神の国はどんな国か考えました。神の国は復活の国です。復活の世は死ぬことのない世界、物から解放された世界です。物の力から、欲求、欲望の力から解放された世界です。 物が消えた時、なくなった時、その物を作った人の心が現れます。その物の持っていた思いが現れます。そのものが何であったのかが分かります。
物がある。物は全てその中に、光と輝くもの、温かさを持っていると思います。なぜなら、物は全て造られたもの、大きさをもって、その場所に置かれたもの、その時間そこで過ごした物だからです。海、山、川、野原、みんなものです。小さなプレゼントも物です。
次の世界に入って、復活にふさわしいものとされた人々は天使に等しい者となる。
天使は神様の思いに満たされている。神様のみ心のまま動く。自分には何も持っていない。神様の子となるのです。 神様から与えられて、それをこの世に現します。神様から与えられて、それをその人に渡します、告げます。
天使の姿は、復活した人の姿は、ある時は見える形が与えられ、通常は見えません。神様によって生まれ、働きます。 神様のみ心に入った者は死ぬことがありません。新しい命の世界に入る、新しい命に生きるのです。天使に等しい者となる。神様のうちに生きるのです。
律法は見える物を見つめています。見える物は働きを、動きを見ています。調和のうちに働きなさい。支え合って、一緒に生きるものとなるのです。神様から与えられた命を大切にするのです。命を大切にするとは、生きる、生き生きと生きるのです。それが命の喜びです。
律法は「義」です。神様の思い、「命を大切する心」です。人と人のかかわりは「正義」です。神様の義は神様の人への愛です。人の大切さ、命の大切さです。神の義とは何をおいても、人を大切にすること、人の命を大切にすることです。神のみ心に感謝。神に感謝。