待降節第1主日A イザヤ21-5 ローマ1311-14a マタイ2437-44  22-11-27

待降節はクリスマスを待つ期間です。神様が赤ちゃんとしてわたしたちの世界にお生まれになる。神様の誕生日を待つのです。

今日イエス様は言われます。「人の子が来るのは、ノアの時と同じである。」

クリスマスが来る。神様の誕生日はクリスマスです。クリスマスが来る。子供たちは期待して思います。「クリスマス・プレゼントは何かな。」お父さんン、お母さんは娘、息子たちのプレゼントを買う日です。若い青年男女はお互いの心を思いながらプレゼントを交換する時、一緒に食事をする時かも知れません。寒い日が続く毎日を我慢しながら過ごしているこの日に、お祝が出来たら素晴らしい。何かご馳走を食べに行こう。

 

ノアの話を思い浮かべます。 クリスマスを味わう門が2つあります。一つは豪華な門です。門を開けると広い道が始まっている。道の両脇に色鮮やかな花が飾られている。その花に彩られた道は宴会場につながっている。宴会の席に着く。美味しい食べ物がたくさん。果物がたくさん。ワイン、ジュース、シャンペンも飲み放題。楽しい、嬉しい。帰り際にプレゼントが貰えた。 次に、別な部屋に案内されました。ちょっと大きな部屋です。部屋一面が画面になっている。 画面は映し出している。冬、気温の低い日であっても、寒い朝に少女は5時ごろ起きる。働いている。次から次へと働くことがある。明るくなるころ出かける。ゴミを拾う。昼過ぎると、人の店を手伝う。夕方になると、子守の仕事が待っている。夜10時頃、家に帰る。家に帰ると、一人で勉強をするのです。11歳くらいになるその子は教師になりたいという。10歳ぐらいの少年の生活も画面に映し出される。その少年は消防士になりたいという。幼い少年少女は苦しくても仕事を離れません。仕事をしなければご飯が食べられないからです。気丈な顔が映っている。少年少女は言います。毎日ご飯が食べられればいい。そして、大人になって仕事ができるよう勉強しているのです。その少年少女は、学校の先生になりたい、消防士になりたい、マッサージ師になりたいのです。

 

これは宴会の楽しみがまだ終わっていない、ほろ酔い気分の人たちの部屋の出来事です。静かな音楽の中で少年少女を見ている。 今、心の洪水がほろ酔い気分の人たちに襲っているのです。この洪水に溺れるのです。その人たちは洪水に飲み込まれ気を失ってしまう。

気が付くと、豪華な広い門の前にいる。

狭い門は何ですか。心で赤ちゃんの誕生を待つ道が始まります。門を開けました。狭い道。でこぼこの道。その道は山に続いている。一人で歩くのですか。自分を見つめながら、心で赤ちゃんの誕生を祝います。幼児から学べる心を造ります。そして、一人の道は広い道になります。多くの人と歩きます。語り合って、山道を辛抱しながら、神様からの大きなプレゼントを祝います。この道は優しさを語り合い、優しさを行う道です。落胆している人を励ます道です。山の頂上に着く。赤ちゃんを精いっぱい祝います。

 

待降節、クリスマスを待つ。ますます、与える者となることが出来ますように。

クリスマスが、また新しい信仰の出発点となりますように。