待降節第2主日A イザヤ11・1-10 ローマ15・4-9 マタイ3・1-12 22-12-4
わたしたちは希望をもって生きています。光のうちに、喜びのうちに、健康で、和やかで、微笑みながら会話ができる。家族のみんながそれぞれの夢をもって生きている。
しかし、今のわたしたちの現実はゆったりとして伸びやかさがなくなってきていると思います。皆、動き回っている。秋、紅葉が生える。その景色を見ようと関東、東北の観光地に観光客が押し寄せる。特に、京都は大変な人だかりだと聞きます。
房総半島は日曜日に観光客が多く訪れる。高速道路は観光客の車です。今はじっとしてほしい時です。 サッカーの国際試合が始まっています。世界がサッカーに沸いています。開催地もそうなのですが、応援する人たちが店に集まっている。大勢の人たちが集まっている。決勝戦が行われると言います。ある国に暴動が起こったと聞きました。その国がサッカーの試合に負けたのです。 別のある国はコロナ対策に一方的な強制を行ったため、2つ3つの大都市の人たちが大きな、荒々しいデモを行っているという報道がありました。
また、突然、隣の大国が侵略してきた。戦いに出てゆく。病院、発電所にミサイルが落ちる。
日本では、幼稚園、保育所で児童虐待が起こっていた。こんなにもたくさんのところで子供たちが虐待されていたのか。老人施設にも不手際がある。
今住んでいるこの社会でいつ、どんな騒動の中に巻き込まれるか分からない。心が静かにならない。社会が便利になってきた。その風潮に乗って、生活している、過ごしている。しかし、毎日、何か落ち着きなさを感じてしまうのです。機械によって、コンピューターによって便利になってきているからではないでしょうか。
わたしたちにとって、平安ってなんでしょうか。わたしたちの平安な心。平安の社会。長生きするって何でしょうか。神の国の和やかさとは何があるのでしょうか。今のわたしたちの社会を見ながら思うのです。
福音書を読みます。イスラエルは今、大きな国ローマ帝国の支配下化にある。生活は苦しい。苦しい中、毎日生活している。貧しい生活を、余儀なく、させられているのです。大国の支配下、平和への希望がない。 噂が伝わってきた。ヨルダン川で預言者が叫んでいる。その男、ヨハネは言う。「悔い改めよ。天の国は近づいた。」ヨハネはエリヤの生活、修道者の生活をしているという噂です。預言者の言葉は不安を感じている人の、心のよりどころです。多くの人たちがヨルダン川のヨハネのところに集まって来る。罪を告白し、洗礼を受けるのです。そこに大勢のファリサイ派やサドカイ派の人たちが来ている。
ヨハネは言う。「蝮の子らよ。差し迫った神の怒りを免れると誰が教えたのか。」
ファリサイ派の人よ、あなたの律法の生活はどうなってしまったのですか。そして、あなたは天の国をどのように思っているのですか。律法を厳粛に守る。律法が天の国への道ですか。律法を守るために余程の苦労をする。考えてみれば、自分を守るために律法を守っているのではないですか。天の国への道は自分が平安になる道なのですか。