待降節第3主日A イザヤ35・1—6a、10 ヤコブ5・7-10 マタイ11・2-11 22-12-11
人々はヨルダン川で叫ぶヨハネの声を聞く。神の道を歩みなさい。律法のうちに歩みなさい。その時、まことの喜びを知る。神様の豊かさを知る。今の苦しみを耐えなさい。厳しい律法の道を歩むのです。神様の祝福、神様の輝きを見ます。あなたの生活を今から変えなさい。 ヨハネの姿は預言者エリヤのようであった。神様への道を力強く語るのです。
ヘロデ王が兄さんの妻と結婚した。律法の道を語るヨハネはその行いを忠言せずにはいられなかった。そして、ヨハネは捕らえられ牢にぶち込まれた。
イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、カファルナウムにきて住まわれたのです。そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。(マタイ4・12-17参照)
ヨハネは狭い牢獄の中に閉じ込められ、静かに時を過ごした。イエスの話を聞く、イエスの事を思ったのです。イエスとは幼い時からの付き合いがあった。
イエスは諸会堂で教え、福音を宣べ伝え、民衆と語り合い、ありとあらゆる病や患いを癒される。悪霊を追い出される、てんかん、中風を癒される。皆はイエスを、病を癒す力を持った預言者だと思っているようです。
また、イエスは語ります。街中で話し始めます。語るイエスの周りに、皆が集まる。イエスは人々に言われる。心を開きなさい。神様に心を開く。そして、人と出会い、心を開きその人と語りなさい。そして言います。天の国は近づいている。わたしたたちの前に来ている。ある人が言います。天の国が見えない。わたしは会堂に行っていない。わたしは人の悪口を言ってしまった。だから天の国が見えないのかな。
あなた方が、あなたが感謝する心を持った時天の国が見えます。人のために手助けする世になった時、人のために損する時、天の国が見えます。
ヨハネは話を聞いて、イエスは何を語っているのか。ヨハネは弟子たちに言います。イエスに会って来なさい。イエスに尋ねなさい。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
ヨハネの弟子たちはイエスのところに来ました。イエスは言います。あなたたちは今、ここで起こっていること、わたしの世界を見なさい。わたしの語る神様の恵み、平和を言い伝えなさい。体の不自由な人の姿を見る―体の不自由な人は心置きなく語っている。動いている。笑っている。体の不自由な部分の事は気にもなっていない。心の死にそうな者はいない。心の死んでいる者はいない。あたらしい命に出会っている。わたしにつまずかない人は幸いです。 イエスは群衆に話始められた。あなたがたは何を見に荒れ野に行ったのですか。自然の力を見るためですか、きれいな服装をした人を見るためですか。自然の力を見るなら、オアシスの中にある都会で木々、咲く花を見なさい。しなやかな服装をした人を見るなら、王宮に行けばいい。では何を見に荒れ野に行ったのですか。あなたがたは、荒れ野ヨルダン川のほとりに叫ぶヨハネに会いに行ったのではないですか。預言者ヨハネに会いに行ったのです。預言者。そうです、ヨハネはまことの預言者です。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう」と書いてあるのは、この人のことだ。 この世の中で、洗礼者ヨハネより偉大なものは現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。
イエスはわたしたちに問われます。
あなたがたは、今、わたしと一緒にわたしの道を歩いている。しかし、わたしにはあなたが見えない。あなたの祈りが聞こえない。
あなたはまことに天の国を待ち望んでいるのですか。そのために何をしていますか。
ご聖体をいただく、ご聖体はわたしの体、わたしの恵み、わたしの祝福の力。
わたしの力によって何をなさるのですか。
今、自分にはまことの安心がない。家庭の事を考えたい。
主は言われます。
自分の事以上に、助けを求めている人の事を考えてほしい。あなた中心の世界からは天の国は見えない。
「自分を与える者」になった時、天の国が見える。荒れ野に木々が見える。