復活節第4主日C 22-5-8
使徒言行録13・14,43-52 黙示録7・9,14-b-17 ヨハネ10・27-30
今日は召命祈願の日です。今、とても神父になりたい人が少ない、修道院も召命が少ないと聞いています。わたしたちは神様と出会った。今、こんな生活を送っていますと、わたしたちに信仰生活を思い巡らす機会が与えられたと思います。
生きるとは、今、命が働いているその姿です。命は始めから、自分のうちにある力だと思っていました。小さい頃は何も考えないで生活していました。食べるのは当たり前。美味しいものを食べたい。のどが渇くから水を飲む。ジュースが飲みたい。家に帰ってゆっくりする。寝る。子供から大人になる。働く。経験を積む。いろいろなことを知るようになる。自分とは何かを考えるようになる。他人とは何か。社会とは、自然とは何か。植物、動物は何か。不思議な出来事がある。不思議とは何か。周りには、自分で知ることの出来ない事ばかりがある、動いている。自分を包んでいる、これらの事柄を知りたいと思うようになった。しかし、どんな事があっても、これからどんな出来事が起こっても、わたしは命のうちに生きている。しかし、考えれば考えるほど様々な、大きなことに囲まれている、その自分とは何か。何のために生きているのですか。考える。
今、生きている、だから、もう出発している。どこに向かって出発しているのだろう。
その人は神父さんに相談しました。神父さんは言います。あなたは何を求めているのですか。働いてお金を得ることは悪いことですか。働いてお金をもらう。そのお金をよいことに使ったらいい。助けてほしいと願っている施設がある。あなたはその施設に援助する一人になったらいい。それ以上に人のために働く者になったらいい。何をやりたいか、何が出来るかを考えなさい。今、わたしたちの身の回りにあるものは皆、わたしたちが作った物です。善いものも、悪いものも皆、人が作ったものです。自分は善いものを作るものになる。人に安心を与えるものを作る者になったらいい。
自分は何か。 人のために働く者になったらいい。与える者になったらいい。
得する者になるより、損する者になったらいいのです。
神に感謝。すべてのものに感謝。
隣人を愛することが出来ますように。