年間第23主日A エゼキエル3379 ローマ13810 マタイ1815-20      23-9-10

  兄弟があなたに罪を犯した。 心安く付き合っていた友がわたしに罪を犯した。何故あんなことをやったのか。しかし、わたしはあいつの心を全く知らない。付き合いが長い、兄弟のような友とは口先だけのことだ。今迄、あいつとゆっくり語り合うことはなかった。今考える。わたしにとってあいつは何者か。あいつにとってわたしは何者か。 わたしに対して犯したあの罪は何か。あいつは何を求めていたのか。わたしはあいつを知らない。あいつとつながっていなかった。 

 

今日、罪を赦す方法が示されました。二人だけのところへ行って忠告しなさい。聞き入れられなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行き、説得しなさい。それでも聞き入れなければ、教会に

申し出なさい。教会の申し出を聞き入れなければ、異邦人か徴税人と見なしなさい。

 

あなたはこの悪いことをやった兄弟に何を求めたのですか。こんなことになって、この兄弟がまことの兄弟だったらいいと思ったのですか。何も「兄弟同士であること」をやっていなかったくせに。お前はこの兄弟の何を知っていたのですか。何も知らない。知るほどの仲でなかった。あなたは罪を赦す者だった。  「隣人を自分のように愛しなさい。」しかし、罪を犯した、罪びとが自分だったらと考えなさいとは言わない。 罪びとも神様が愛され、命を注ぎ、造られたものではないでしょうか。

 

デ・メロ神父さんのこんな話を読みました。

アナスタシオ修道院長は羊皮紙の立派な本を持っておられた。2万円もする高価な聖書です。

ある修道士がそれを見た、そして盗んでいってしまった。聖書を読もうとしたが聖書がない。院長はその男の仕業だと気づいた。しかし、追いかけなかった。「盗み」に加えて、「偽証」の罪を犯させたくなったのです。 修道士はこの本を町の本屋に持って行った。「1万8千円でどうですか。」

本屋はアナスタシオのもとに持参した。「神父さん、この本をご覧ください。1万8千円が手ごろだと思われますか。」 アナスタシオは言った。「うん、これは立派な書物だ。1万8千円じゃいい買い物だ。」 本屋は修道士のもとに戻っていった。実はこの本をアナスタシオ神父にお見せしたところ1万8千円の価値があるとのお話でした。」

僧は肝をつぶした。「で、神父はほかに何かおっしゃいましたか。」

「いえ、それだけです。」 「そうか、気が変わった。この本は金輪際売らぬことに決めた。」

彼はアナスタシオのもとに戻り、涙ながらにこの本を受け取っていただきたいと懇願した。

アナスタシオは優しく言った。「案ずるには及ばない。兄弟よ、それはあなたへの贈り物です。取っておきなさい。」僧は言った。「いいえ、これをお受け取りくださいませんと気が休まりません。」

それ以後、この僧は終生アナスタシオのそばに仕えたという。

 

兄弟とは何ですか。そばにいる、近くにいる知り合いですか。おはよう、さよなら、無駄話で時を過ごす知り合いですか。 何も言わなくてもいい。静かに座って、静けさを楽しむのがいい。悔しいとき、腹が立っているとき、その思いをぶつけて、受け取ってくれる人じゃないか。その人といると、落ち着く、願い事を一緒に祈ってくれる。 その人といると、おおらかさに包まれる、静けさに包まれる、優しさに包まれる、元気がもらえる、そんな兄弟がいたらいい。 いや、その兄弟にあなたがなりなさい。

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」