年間第4主日A 23-1-29
ゼファニヤ2・3,3・12-13 Ⅰコリント1・26-31 マタイ5・1-12a
第一朗読・ゼファニヤ書を読みました。『わたしは地の面からすべてのものを一掃すると主は言われる。神に逆らうものをつまずかせ、人を地の面から絶つ。』
愛する我が子である人びと、お前たちは自分の欲求しか見ていない。どのように満足しようか。どのように楽しもうか。何を食べようか、何を飲もうか。そして、ついにはどのようにしてお金を手に入れようか…わたしたちの周りには今もこのような考えがあふれています。
こんな我儘な社会が不景気になっている。物価がどんどん上がって行く。昨日、今日、明日と見る見る上がっている。しかし、一つ400円、一つ500円、1000幾らかのケーキのような物の宣伝が止まらない。イオンモールに行ってみると善い値段のケーキがずらっ並んでいる。自由に買っている。 物価がこのように上昇しています。子供さんの勉強はどうですかとのインタビューでは、子供の習い事は3つあったものを2つにしましたという。
また、ある人は、家を全自動化にしたところ、電気代がばかになりませんという。
今、わたしたちはあまりにも贅沢な生活を送っているのではないでしょうか。あなたはあまりにも小さい社会、自分の周りの社会しか見ていないと言われるかも知れません。それはそれで結構だと思います。わたしたちの生活はそのような社会の中にあるのです。
ゼファニヤ書で神様は怒っています。苦しかった時代をわすれたのか。支え合った時代を忘れたのか。
今日、山上の垂訓を読みました。イエス様がわたしたちに今日、語られるのです。
今日、わたしの言葉を聞きなさい。 心の貧しい人々は幸いである。悲しむ人々は幸いである。柔和な人々、義に飢え渇く人々は幸いである。あなたはイエス様に呼びかけられていますか。心の貧しい、霊において貧しい人自分を安心させる豊かな心がない人、神様の心を求めている人。今、自由に勉強できる。誰もかれも人について勉強できる。祈る、黙想する。その時間を本当に求めるなら、誰でも手に入れることが出来るのではないでしょうか。今、あなたは本当に求めていますか。祈る時間を本当に求めていますか。あなたはわたしを見ようとしていますか。見つめようとしていないのではないですか。今の生活は会社の生活、命の生活になっていない。
悲しむ人々は幸い。柔和な人々は幸い。義に飢え渇く人々は幸い。
柔和な心を持ったらいい。出会った人に心の優しさを与えたらいい。持っているものを与えたらいい。時間を与えたらいい。イエス様に全部与えられた。全部与えられたらいい。
義のために働く。人のために働くのです。持ち出すばかり。その人というのではなく、皆のため、一緒に住んでいるみんなのために働くのです。命が生きるため。生き生きと生きるためです。
苦しんでいないあなた、あなたが苦しみに入りなさい。十分食べているあなた、食べ過ぎているあなた、自分を見つめなさい。そして、人を見つめる。
心の貧しさが分かる、悲しみが分かる、柔和さがこんなに苦しいのかが分かる。義のために働く。 あなたが働きなさいとイエス様は言われていると思います。