年間第5主日A イザヤ58・7-10 Ⅰコリント2・1-5 マタイ5・13-16 23-2-5 ヨハネの弟子たちがイエスに問うた事があります。「わたしたちとファリサイ派の人々は
よく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」イエスはその時、
答えます。神様が弟子たちに「断食したくなる時」をお与えになる。その時、自ら断食する。
断食の中で、断食とは何かを自分の体が、自分の心が知るのです。そして、自分の命を真正
面から見るのです。(マタイ9・12-)
第一朗読・イザヤ書で主は語られます。わたしの選ぶ断食を教えよう。
断食とは、このような関係の人と出会うことです。
①飢えた人にあなたのパンを裂き与えなさい。 ②さまよう貧しい人を家に招きなさい。
ざまようとは、ところ定めず、あちらこちらを歩く。さすらう心が安定しない、落ち着かな
い。貧しいとは生活が安定しない。食べ物がない、心に重さがない。その人と出会う。
③裸の人に衣を着せなさい。また、心が裸の人に温かい衣を与える、光の衣を与えるのです。
④助けを求めている人に出会う。手助けをする。時を与える。心を与える。力を与える。お
金を与えるのです。
断食とは,出会っている人を助けることです。あなたの光は曙のように射し出ます。あなた
の傷は速やかに癒されます。断食によってあなたの心は清くなり、ますます、正義をますま
す求めるようになります。
断食とは、自分を捨てることです。他人の、人の枠の中にいるから、その中で自分を保って
ゆこうと考える心をやめます。人々の枠から自由になるのです。
(神様を愛する。隣人を自分のように愛する。そのあなたの光は闇の中に輝き出て、あなた
を包む闇は真昼のようになる。)
わたしたちは断食とは、食べない事だと思っていました。食物は神様からいただいたもの。
神様からの恵みだ。それを忘れてはいけない。一日食べないだけでも、苦しい。しかし、食
べる、飲む。今まで贅沢のうちに食べていなかったか。贅沢のうちに飲んでいなかったか。
貧困のうちに、食べられない人たちがいる。断食は人の生き方である。だから、ふと止まっ
て生活を思いなさいとの修行だと思っていた。
【まことの断食とはあなたは何を求めて生きているのですかと問われる修行だったのです。】
あなたがたは地の塩である。あなたは今、この地に生きる塩です。塩は生きる命の光です。
塩によって命は生き生きと生きるのです。人に、物に塩を与えなさい。与え続けなさい。
①供え物には塩をつけなさい。神様の食べ物は塩の味。レビ21・13,6,8,17,22
②塩によって浄化する。生まれたばかりの子を塩でこする。エゼ16・4
人は全て塩という火で清める。
③食べ物を塩味にする。長持ちする。塩の契約=永遠に続く契約
④塩で味付けされた親切な言葉を使いなさい。コロ4・6
あなたがたが塩となりなさい。あなたに塩気がなくなれば、誰も相手にされない。あなたは何の役にも立たなくなるのではない。外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 あなたがたは世の光である。 あなたがたは人々と共に住んでいる。一緒に暮らしている。いつも人と共にいる。共に働いている。この社会の中であなたがたが光となるのです。
夜、家の中にいる。家の中に光が必要です。あなたの光で家を照らしなさい。
夜、道を歩く。あなたが道を照らす光となりなさい。
もう一度、神様の恵みを思います。
わたしたちは塩です。塩の恵みをたくさん注がれています。その恵みを出会う人々に注ぐのです。塩の生きる力が優しさとなって、喜びとなってわたしたちの周りに満たされます。
わたしたちは光です。目の前が明るくなる。暗闇が輝きます。
神様はどこにおられますか。
あなたに心を留めています。あなたに光を注いでおられます。わたしたちの毎日の生活を微笑みながら見つめておられます。
神様の恵みを忘れません。神様の感謝の心を忘れません。