受難の主日(枝の主日)A 23-4-2
マタイ21・1-11 イザヤ30・4-7 フィリピ2・6-11 マタイ27・11-54
イエスの一行はエルサレムに近づいた。イエスはロバを求めた。ロバに乗ってエルサレムに入る。ロバによってゆっくりと入場するのです。馬は戦うための兵士と武器を運ぶ、しかし、ロバは荷物を運ぶ、人々のために働くのです。人々はロバによって進むイエスを見た。
「わたしたちのエルサレムが神の栄光に輝く時が来た。」「エルサレムがわれらの栄光の都となる。」エルサレムにいる人たちはイエスを見た。「あの人は何者か。」「ガリラヤ出身の預言者だ。」 枝の主日:イエス様のエルサレム入場に勝利の枝をささげます。神様のみ心がかなう。イスラエルがダビデの時のような力強い国になる。
ある夜、イエスは捕らえられた。ピラト総督の館、ヘロデの屋敷へと引き回された。
ピラトは問う。「お前はユダヤ人の王か。」イエスは言う。「その問いはあなたたちの世界の中の問いです。わたしはあなたたちの世界に属していません。」長老、祭司長たちがイエスの罪を語っている。イエスはその訴えに無関心である。「もっと言います。わたしは王です。しかし、わたしはあなたたち世界の王ではありません。」
イエスは鞭で打たれた。イエスは死刑を宣告された。王様だろう? 茨の冠をかぶせられ、赤い衣を着せられ、嘲笑された。十字架が渡される。自分の十字架を背負ってゴルゴタまで歩きなさい。十字架の道行。三度倒れる。寝ていない、力尽きているのです。
十字架にくぎ付けされる。「お前は自分を救えないのか。」
昼の三時頃、イエスは叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」
わが神、わが神、なぜ、わたしをお見捨てになったのですか。
イエスの道は神様への全くの従順です。神様はそれを喜ばれた。
従順とは、み心のうちに歩むことです。自分の得ではありません。従順であろうと思ったら、かえって不安になってしまった。不安である自分を捨てなさい。従順であったら、損ばかりしている、苦労ばかりしている。悲しい事ばかりになっている。損している、苦労している、悲しんでいる、その自分の思いを捨てなさい。従順はあなたがいないことです。
まことの枝は十字架だったのではないでしょうか。
十字架を通らないければ、十字架の道を歩まなければ、神の愛は見えないと思うのです。