聖木曜日・主の晩餐の夕べのミサ 23-4-6
出エジプト12・1-8,11-14 Ⅰコリント11・23-26 ヨハネ13・1-15 13・1-15
今日は司祭にとっても特別な日です。司祭全員が司教の前に集まるのです。聖堂(おみどう)の前6列でしょうか、司祭が祭服をまとって座ります。ミサの中で、大司教様の前で司祭の約束の更新をします。叙階を思い起こしなさい。
叙階の約束は、①イエスとより密接に結ばれ、自分を無にして、聖なる務めを忠実に守り行う決意を持っています。②神様の思いを心からの熱意にかられて行います。③頭であり、牧者であるキリストに従う決意を持っています。
過越祭が近づいてきた。夕食の時、イエスはこの世から父のもとに移る時が来たのを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。 愛するとは、この上なく愛するとは、離れないほど固く結ばれることではないでしょうか。心が結ばれる、それ以上に命が結ばれることです。イエスは弟子たちの指導者でありながら、弟子たちの主でありながら、弟子たちの足を洗われたのです。静かに一人ずつ足を洗って行く。ペトロのところに来た。
「主がわたしの足を洗ってくださるのですか。わたしの足など決して洗わないでください。」
足を洗うのは奴隷の仕事です。奴隷はその人の前にかしこまって、跪いて足についている泥をぬぐうのです。奴隷は何も持っていない、誇るものなど持っていない者です。
「奴隷のような事をしないでください。あなたは主です、奴隷にならないでください。」
「わたしは奴隷ではない。わたしたちは兄弟ではないか。今、わたしのしていることはあなたには分からないが後で分かるようになる。もし洗わなければ、わたしとあなたは何の関係もないことになる。」「主よ、それなら手も頭も洗ってください。」「あなたはわたしと共にいた。もう清くなっている。」 イエスは皆の足を洗った。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたたちはわたしを「先生」とか「主」とか呼ぶ。わたしはそのように働いている。主であり、師であるわたしがあなた方の足を洗ったのから、あなた方も互いに足を洗い合わなければならない。」
愛するとはその人のために、精一杯働くことです。夫婦が互いに働き合う。いいですね。
兄弟が互いに働き合う。兄弟は誰ですか。あっ、隣人が兄弟です。イエス様は言われます。目の前の兄弟のために働きなさい。あなたがたはわたしの中に入ってきなさい。
その時、助けを求めている兄弟が見える。わたしの目で見なさい。わたしの口で話しなさい。
イエス様の愛を受けとめてゆきたいと思います。