聖金曜日・主の受難 23-4-7
イザヤ52・13-53・12 ヘブライ4・14-16,5・7-9 ヨハネ18・1-19・42
はじめに、イザヤの預言・主の僕の苦難と死が読まれました。
わたしの僕の姿を見なさい。わたしの僕ははるかに高く上げられ、あがめられる。わたしたちはイエスを思い、この預言書を読んでいます。しかし、この僕、彼は苦しみの道を歩んだ。彼は軽蔑され、人々には見捨てられた者だった。彼はわたしたちの病を担った。わたしたちの痛みを担った。彼は力のない人たち、人の助けを必要としている人たち、体の不自由な人たち、一人では生活出来ない人たち、やもめ、親のいない子供たちのために働いた。彼は捕らえられた。懲らしめを受けた。さんざん殴られ、鞭打ちをされた。しかし、彼が懲らしめを受けたことによって、わたしたちは平和を知った。彼によって癒された。しかし、ついに彼は命を取られた。彼は不法を働かなかったのに、彼の墓は神に逆らう者と共にあった。
主の望まれることは彼によって成し遂げられた。彼は自分の実りを見、それを知って満足する。多くの者が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら背負ったのです。
多くの人たちの過ちを担い、背いた者のためにとりなしたのはこの人であった。
わたしの僕この人、イエスに十字架を与えた。そして、十字架の勝利を与えた。
イエスはピラトの館で判決を受ける。ピラトの館で兵士たちはイエスに茨の冠をかぶせ、紫の服をまとわせた。人々の前にイエスを引き出した。イエスの姿は茨の冠、紫の服である。ピラトは言う。わたしのこの男に何の罪も見いだせない。イエスの姿は、人に作られた冠、王冠ではなく茨の冠、そこいらへんから持ってきた紫色した服である。人々の力によって王様の姿に仕立てられた姿だ。ユダヤ人たちはイエスを見て言う。「十字架につけろ。十字架につけろ。」ピラトは言う。「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか。」ユダヤ人たちは言う。「わたしたちには皇帝のほかに王はありません。」
イエスは十字架につけられました。イエスは全くの裸になりました。人の面影がない。殴られ、鞭打たれ、血みどろになり、立ち上がれないほど疲れ果てている。支えてくれる人がいない。友がいない。持ち物がない。神様が助けてくる望みを持っているのか。叫んでいる。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」
「渇く」と言われた。そして、「成し遂げられた。」と言って、息を引き取られた。
イエスは新しい墓に葬られた。
わたしたちはイエス様の十字架の苦しみを思い、イエス様の姿を受け取っています。
天の父、神様は言われます。イエスは人間の奥底の苦しみを知った。体で受け取った。
イエスはわたしの命のうちに生きる。
わたしたちは言います。
「十字架の勝利を賛美します。」