復活節第5主日A 使徒言行録61-7 ペトロ24-9 ヨハネ141-12   23-5-7

 太陽が昇る。今日が始まります。窓から空が見える。今日が善い日でありますように。今日、善い事が出来ますように。昨日があったように、今日がある。そして、未来が広がっている。気が付くと、わたしたちは時間の中にいる。動いている世界の中にいるのです。出来事があります。ふと、今日の一日がある。自分の生活があると思うのです。知らないうちに出来事がどんどん起きている。わたしたち一人ひとりが出来事に触れているのです。嬉しいことがある。しかし、苦しみがある、悲しみがある。事故にあう。病気になる。年を取り、体の健康が損なわれてくる。また、子供を事故で亡くすことが起こるかも知れない。

 

イエス様は言われます。心を騒がせるな。神を信じなさい。わたしをも信じなさい。

人は出来事の中にいる。生きているとは出来事の中にいることです。あなたにかかわること、どんなことであっても、すべて受け入れなさい。心静かに受け入れなさい。受け入れることが出来る大きな心を持ったらいい。

心騒ぐとは:①不平を言う。苦情を言う。②心が動揺する。思い乱れる。③慌てふためく。うろたえる。④あれこれと取りざたする。評判にする。⑤主演などで賑わしくし、楽しむ。

「この世の出来事で心を騒がせるな。神を信じなさい。自分に振りかかる出来事を素直に受け取りなさい。もし、死があなたに訪れたら、わたしの名を呼びなさい。神様を信じる。わたしをも信じなさい。この世を去る。あなたのために場所を用意しよう。あなたをわたしのもとに迎える。わたしのいる所にあなた方もいることになる。わたしがどこに行くのか、その道をあなた方は知っている。」トマスが言います。「主よ、おっしゃっていることが分かりません。主よ、どこへ行かれるのですか。どうしてその道を知ることが出来るでしょうか。」

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことが出来ない。あなたがたは既に父を見ている。」フィリポが尋ねます。「主よ、わたしたちに御父をお示しください。」イエスはフィリポに、いや、皆に言われるのです。「こんなに長い間一緒にいるのに。皆、わたしを見ていない。わたしを見つめてない。」

 

わたしを通らなければ、父を知ることが出来ない。わたしの中に入った時、父が見える。

父を知ることができる。 みんな、わたしと一緒にいる。毎日、わたしを見ている。しかし、自分の体の目で見てもわたしは見えない。 心の目で見てほしいのです。「わたしの形を超える姿」が見えるようになる。「影の姿」、「ものを超える姿」をあなたが強く感じ、心に残るその印象が力となってあなたの中に入る。 それがイエスの中に入るということです。自我があっては、イエスは見えない。社会生活の目を持っていたら見えない。今の生活を維持しようと思ったらイエスは見えない。

真理とは:命のうちに生きることです。命は神様からの生きる力です。わたしの中に入るとは父の中に入るということです。イエスの命、父の命に入ることが出来たのです。

わたしの道を通る、真理に入ることです。すべての出来事を、また、隣人をイエスの目で見る、イエスの耳で聞く、イエスの感覚で受け取るのです。

 

イエスと共に歩きます。イエス様から与えられる大きな業を行うことが出来ますように。