年間第13主日A 23-7-2
列王記下4・8-11,14-16a ローマ6・3-4,8-11 マタイ10・37-42
今日、木更津教会で大司教様司式による堅信式が行われました。館山教会が3名、木更津教会が3名計6名でした。 堅信とは聖霊による洗礼です。洗礼は水による出発です。神様と出会った。神様につながって生きる。神様の思いのうちに生きる。その約束と恵です。
洗礼とは水に沈むことです。水に沈み死ぬのです。そして、水によって新しく生まれ、新しく生きる。水によって死に、水によって生きる。これが洗礼です。
堅信は聖霊による出発です。洗礼によって自分の歩く道が示された。あなたはその道を歩いていますか。堅信によって聖霊があなたの心と体に注がれます。歩みなさい。あなたの道を歩みなさい。神様への道、神様のうちに入って行きなさい。
神様の道は何ですか。与えなさい。その一言です。あなたは今生きている。神様によって支えられている。必要なものが与えられている。だから生きている。しかし、自分では生きられない人がいるのです。その人たちは放って置いたら命を失くしてしまう。その人たちが助けを求めている。手助けしなさい。その人も神様からの命によって生まれたのです。あなたの兄弟です。
今日、堅信の秘跡を見ました。自分の信仰を考えたいのです。この社会は力のある人、頭のいい人を求めています。力のない人は、頭のよくない人は弱い立場に置かれてしまう。
力の世界、欲求の世界になっている。心が荒れてきている。思いもよらない事件が起こる。
イエス様は言われます。どんな力のある人も、どんな頭の切れる人も支えられて生きていることを忘れてはいけません。弱い人が悲しんでいる。心が空しくなっている。
老人ホームのおじいさん、おばあさんに訪問者がいない。食事の時間、静かに、そっと食べるだけです。休憩時間、皆、黙ってお茶を飲んでいる。今、コロナの影響で訪問していませんが、訪問すると喜びます。歌ったりする、お話が出来る。
お父さん、お母さんが一緒に生活できないからといって、小さい子供が施設に入れられてしまう。ほかの人は誰も心に留めない。だれも知らない出来事です。その子たちは心に留められていない生活を送っている。学校に行く年になる。知られると、仲間たちから、いやな目で見られる。「かわいそうね。」なんて言われたくもない。一人で生きてい行くしかないのだ。心がいつしかひがんでしまう。
あなたは何を大切にして生きていますか。あなたは洗礼、堅信によってわたしの道を選んだ。わたしの思いのうちに生きてほしい。わたしの道を歩んでほしい。
あなたの今いる世界を壊しなさい。父さん、母さんを大切にする。息子、娘を大切にする。これは当たり前のこと。大切にしたいことです。でも、あなたが温かな心を大切にして生きる、その生活で見えないものがあるのです。
①不幸な出来事のために、働けなくなってしまった人たちです。
②父さん、母さんがいない。兄弟がいない。誰も自分のことを心にかけてくれない人たち。③体が不自由で働けない人たち。誰も助けてくれない人たち。
④誰も雇ってくれない人たち。その人たちは手助けを求めています。
その人たちに心を向けなさい。その人たちのために働く。いやな仕事です。それがあなたの十字架ではないでしょうか。人のために苦労する。何の得にもならない。
その十字架を背負う人がわたしにふさわしい人です。わたしの道を歩む。自分を与えつくす。
わたしと一緒に、この道を歩いて行こうではありませんか。