主の変容A ダニエル7・9-10,13-14 Ⅱペトロ1・16-19 マタイ17・1-9 23-8-6
イエスは弟子たちに言われました。「人々は人の子のことを何者だと言っているか。」弟子たちは言います。「人々は、人の子のことを預言者とみています。ある者は洗礼者ヨハネ、ある者はエリヤ、預言者の一人だという者もいます。」イエスは言われます。「それではあなた方はわたしを何者だと
いうのか。」ペトロが言います。「あなたはメシア、神の子です。」するとイエスはお答えになります。
「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。また、わたしはあなたに天の国の鍵を授けよう。」
わたしが何者であるか、あなたの言葉は嬉しい。天の父のみ心が今、あなたに働いたのです。
ペトロ、この岩の上に、あなたの上に、わたしの教会を建てます。あなたが導く人となるのです。
しかし、あなたの思い、あなたの信仰によって導くのではありません。心を空にして、天の父のみ心のまま、語り、行いなさい。人を受け入れる、一緒に行う、人を導くのは人間の力ではありません。天の父のみ心です。 ペトロ、あなたは語る前に、心を静め、聞く者になりなさい。
イエスは弟子たちに打ち明け始められました。「わたしは必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている。」
弟子たちは驚きました。すると、ペトロはイエスをわきにお連れしていさめ始めたのです。ペトロがイエスを、自分たちの先生を叱ったのです。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」 イエスは振り向いてペトロに言われました。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」 ペトロ、お前は聞く者になったのではないか。
そして、6日の後、イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登られました。 イエスの姿が彼らの前で変わります。顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなりました。見ると、イエスは二人の人と語り合っています。ペトロ、ヤコブ、ヨハネはそれを見ました。イエスが語っている、それが、モーセとエリヤだと気づいて、驚きました。訳が分からなくなるほど驚いたのです。ペトロは言います。「わたしたちがここにいるのは素晴らしい事です。わたしはここに仮小屋を三つ建てましょう。
こう話しているうちに、光り輝やく雲が彼らを覆った。「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者。これに聞け。」 ひれ伏した彼らに、イエスは手を触れ言われます。「起きなさい。恐れることはない。」
見るとイエスのほかには誰もいなかった。 天の父はペトロに言われたと思うのです。『ペトロ、お前は率先して語る者になってはいけない。小さい者、知らない者として、聞く者になる。イエスに聞きなさい。』 一同は山を降りるときイエスは言われました。「今見たことをだれにも話してはいけない。」
主の変容を祝う。主の受難の40日前に主の変容があったという伝承にもとづいて主の変容を祝います。イエスが、エルサレムに行く。それは新しいイスラエルの建設のため。イスラエルの王としてエルサレムに入場すると思っていました。しかし、イエスは捕らえられた。鞭打たれた。石を投げつけられた。唾を吐きか出られた。十字架を背負って歩かれた。十字架に架けられた。苦しみのうちに命を落とした。主の受難、十字架にあなたは何を見ましたか。神の子イエスの挫折です。
挫折を通して、神様の栄光が現わされる。受難、十字架を通さなければ、栄光を知る事が出来ないのです。 人が栄光にあずかる、人が栄光に満たされるのではありません。人が神の栄光に入ってゆくのです。自分が変わってゆく。苦しみ、悲しみを受け取って変わって自分が変わってゆくのです。