年間第21主日A イザヤ22・19-23 ローマ11・33-36 マタイ16・13-20 23—8・27
イエスは弟子たちにお尋ねになりました。「人々は人の子のことを何者だと言っているか」。「人々は人の子、イエスを預言者だと言っています。」弟子たちにも問います。「あなたたちはわたしを何者だというのか。あなたたちは常にわたしと一緒にいる。日常生活を見ている。わたしの心の中に入ることも出来る。」 弟子たちはえっと思いました。弟子たちは、いつもの姿、そのままの姿でイエスを受け取っている。いつも一緒にいてくださる方。心おおらかな、静かな、憐み深い、力強い方。イエスといると素直になれる。神様の道を歩いている。そんな思いのうちに、弟子たちは、ただそのまま、イエスと一緒にいるのです。だから、あなたにとってわたしは何だと問われると、一瞬戸惑ってしまったのです。
イエスは今、弟子たちに、またわたしたちに言われていると思うのです。
弟子たち、あなたはわたしに出会ったのですか。弟子たちはイエスと一緒の生活している。
イエスを自分たちの心持の中で生活している。
それは出会っていない。実に、わたしに出会いなさい。もっともっとわたしに出会いなさい。もっともっと深くわたしに出会いなさい。その時、あなたたちはわたしと共に歩む。
わたしたちにも言われているのです。もっともっと深くわたしに出会ってほしい。それは、自分が何であるかを知る道なのです。神様と出会う。あなたは本当に神様と出会いたいと思っているのですか。もう出会っている? また出会うのです。あなたの心と、あなたの体と出会うのです。
神様と出会っている:深い祈りの中で、聖書を熱心に読んでいるその深い心の中で出会っている。
いや、心と体で出会ってほしいのです。それが本当の出会いです。
イエスは天の国をたとえで何度も話されました。何故、たとえで話されるのですか。
あなたに天の国を受け入れる畑がないからです。天の国は遠くにある理想の国ではないのです。あなたの心に植えられた、あなたたちが働いて作ってゆく神様の心の国です。あなたの畑に芽が出て、成長してゆくのです。あなたたちの中に畑がなかったら、天の国はあなたたちのところへは来なくなってしまうのではないですか。天の国はあなたたちが実をつけてゆく国です。イエスの天の国のたとえはこの世の、わたしたちの生活の中の話です。畑がなかったら天の国はどこにあるのですか。
メシア:救い主。 救われたい。あなたは何から、どのように救われたいですか。
救いを求める。あなたは生活の中で、どのように求めていますか。
また、手助けしたい。 イエスは教会を建てられた。あなたの心の中に、教会は働いていますか。
何度も言います。あなたの畑は耕されていますか。
イエス様はあなたにとって何者ですか。
教会はあなたにとって何者ですか。
あなたの畑は耕されていますか。