年間主日A エレミヤ20・7-9 ローマ12・1-2 マタイ16・21-27 23-9-3
先週、1週間の黙想のためトラピスト修道院に行きました。そして、修道士たちの祈りにでました。 3:45読書課、 5:30朝の祈り、続いてミサ、 7:00朝食、 8:00三時課、8:20講話、 11:30昼食、 13:10九時課、 17:30晩の祈り、 18:00夕食、 19:40寝る前の祈り、 20:00就寝
トラピスト修道院で神学校で一緒に勉強した神父さんに会いました。この神父さんは30数年教区神父として働き、トラピストの修道者になろうと決心したのです。この神父さんの生まれが修道院の近くなのです。子供の頃から修道院を見ていた。修道士たちを見ていたと、言っていました。 2日目、昼からの時間、会って話をする時間をもらいました。 30数年教区の仕事をした。人々の中で、教会の中で教区の神父として働いていた。30年間人々を見た。いや、一緒の生活を送った。そして、いのちの本当を見たくなった。トラピスト修道者になりたいと思った。そんなことを語ります。今年で3年目、誓願を立てることが出来た。修道士になったと言います。 囲いの中でまったく社会と離れている。社会から離れて、不足していると思わないのか。 いのちに入る。神様の恵みを十分受け取る。社会を離れる、もう人々と十分出会ったよ。修道生活の当初は全く忙しかったよ。休む時間がなかった。祈り、仕事、又祈り、そして、勉強の時間、研究の時間がある。祈りに起きて、祈りに寝る。今、神の道を歩いていると感じるよ。ますます、神様の道を歩いている。
社会とは何ですか。教会の働きは何ですか。神父の目的は何ですか。人々の生きる目的は何ですか。そんなことを思いながら今日の福音を読んだのです。
イエスは弟子たちに言います。わたしは長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている。 ペトロはそれを聞いて驚いた。 イエスはペトロの心を感じ取っている。 ペトロはイエスをいさめ始めます。
「主よ、とんでもない事です。そんなことがあってはなりません。」 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わす、人間のことを思っている。」
ペトロは驚いた。弟子たちも驚いた。イエスは全の道を歩んでいる。イエスによって神様のみ心がよく分かる。イエスの言葉によって人々は安心を得る。イエスは病を癒される。イエスによって神様の姿を見ている。イエスが自分で何を言うのか。
ペトロの求める善意は何ですか。
わたしたちは善い事をすれば安心の世界、命の世界に入れる、神様に出会える、それが人の道ではないか。
イエスは言われるのです。
お前の善はサタンの善だ。自分の善、サタンの善を捨てなさい。天の国は人々が困難、苦難を越えて作ってゆくのです。命の大切さを知り、貧しさを知る。信仰を知るのです。人々のために働く、平和を作ってゆくのです。善は、善い事のために働くことではないですか。善い事のために苦しむこと、悲しむことではないですか。
善いものを得ようと祈る。豊かになる、金持ちになる、能力のある者になる、神様はそんな恵は与えられない。サタンが与えるものです。ペトロ、あなた豊かさを求める心はサタンの思いです。
わたしについて来たい者は自分を捨てなさい。
「奇跡」という文を見つけました。読んでほしと思います。
神様と出会う。自分を見つめる。人のために働く。祈ってゆきたいと思います。