日A シラ27・30-28・7 ローマ14・7-9 マタイ18・21-35 23-9-17
ペトロがイエスのところに来て言った。 「主よ、兄弟がわたしに対して罪をおかしたなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 イエスは言われた。 「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」
ペトロ、あなたは天の国から遠いところにいる。あなたのところから天の国行くためには40数年を歩まねばならない。ペトロ、あなたは天の国が見えてない。自分の心を捨てなさい。
人は社会を作って生きています。一人では何も出来ない。仕事をして生活する。自分の力を使って金銭を得る。互いに働き合って、支え合って社会を作っているのです。人の手を借りなければ、生活用品が手に入らない。食べ物、飲み物が手入らない。人と人が助け合ってつながっている。
簡単に借金をしてはいけないと思います。冒険をするために、遊ぶために借金をしてはいけない。
生活のうちに金銭を考えたいのです。
ある人はいい仕事を得た。頭がいい、能力がある。しかし、仕事が得られない人がいる。事故にあう、病気にかかってしまう人がいる。仕方なく借金をしてしまう。 しかし、借金をしてしまった人を追い詰めるのではなく、憐みのうちに仲間として付き合えたらいいと思うのです。
そうです、わたしたちはこの時、助けを必要としている人たちの事を忘れていました。自分一人では生きられない、手助けがいなければ生活できない体の不自由な人たち、年取ったおじいちゃん、おばあちゃんのことを忘れていました。みんな一緒に生きるのです。 働けない人たちがいる。その人たちのことを忘れてはいけない。 ふと思うのです。人は何のために生きているのですか。自分が生きるため、自分が生活を楽しむためですか? いや、仲間が一緒に命を楽しむためではないでしょうか。不自由になっている人に必要なものが与えられたらいい。わたしたちが与える者になったらいいのです。
借金などしたくない。しかし、してしまった。罪ですか。神様は言われます。人は皆、わたしが与えた天地万物のうちに生きているのです。みんなはわたしの借金のうちに生きているのです。
掟を守りなさい。掟とは:自分の弱さ、自分の小ささを知ることではないでしょうか。掟を忘れず、隣人の罪をそのまま受け取れたらいいのです。いと高き方の憐れみ、慈しみを忘れず他人の落ち度には寛容でありたいのです。
一緒に生きる。つながりは支え合うことではないですか。足りないからつながりあう。
借金をした。返さなくていいのではない。人の、仲間の心に、愛の心に満たされたのです。
事故の、病院への借金は、妻の病気での借金はみんなが助けてくれた。
おじいちゃん、おばあちゃんはみんなの中で生涯を終えた。体の不自由な仲間たちは、喜んで生活を送っている。
不満、不平を言いながら、天に石を投げつけたら、その石はその人に落ちてくる。