年間第26主日A エゼキエル18・25-28 フィリピ2・1-11 マタイ21・28-32 23-10-1
今日の第一朗読エゼキエルを読みました。
お前たちは、「主の道は正しくない」という。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道は正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないか。
あなたは、ある時代に、コレラやペストのような強い伝染病を流行らせました。(14世紀のヨーロッパでは、ペストの流行によって、全人口の3分の1、半数が亡くなったと言われています。)大恐慌になった。周りの人たちが死んでゆく。大都市の三分の一の人たちが死んでいった。幼い子供たち、若い青少年たちも大勢、苦しみながら亡くなったのです。神様、これがあなたの思い、あなたの力による出来事なのですか。また、近年では大洪水がありました。多くの人が亡くなった。大きな津波がありました。多くの人が亡くなった。町が水の中に沈んだ。
あなたの道は厳しい。あまりにひどい出来事にわたしたちは言葉を失っています。わたしたちはあなたの道は正しいと思えないのです。
主は言われます。 お前たちの道は正しいのか。
お前たちの正しい道とは、祈ることか、律法を守ることか。自分が悪を行わないように努めることか。
そうではない、正しいとは「いのち」を見つめることです。いのちを生きることです。神の道を歩むとは神のいのちを生きる。皆が生きることです。神様は体の不自由な人を造られます。生まれつき車椅子で生活する。手も足も動かない、一人では生活できない。言葉も語れない。耳も聞こえない。目が見えない。あなたのいのちは人を助けるためですと言われているのです。それは、「自分に与えられたいのち」は「自分で生きられない人を手助けする」ことです。与える者になっていますか、と問われているのです。 正しい道とは、皆が互いに生きる支えとなることです。
悪とは、自分の世界を充実させることではないでしょうか。自分の力で自分を満足させる。自分の欲求のうちに楽しむ。自分の力は自分のもの。皆の中で競争に勝つ。悪の人は自分しか見ない。人は支えられなければ、生きられないそれを知ろうとしない。食べたい、食べ物が必要です。飲みたい、飲み物が必要です。衣服、建物、必要なものがたくさんある。でも、自分では何も出来ない。また、怪我をしたら医者が必要です。悪の意味は壊すことです。平安を壊す。喜びを壊す。会話を壊す。友情を、思いやりを、温かさを、和やかさを、ゆったりとした時間を、造ったものを、静けさを壊すのです。悪の力がある人は壊す力がある、それを満足するのです。
正義は人のために働く。悪は自分のために働く、人を壊す。
正義は苦労する、悪は欲求を楽しむ。
父さんが兄さんのところへ行って言います。「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい。」「いやです。」 しかし、後で考え直して出かけた。 父さんはわたしの事をちっとも考えないで、用を言いつける。自分の事をまずやりたい。だから「いや」だと言ってしまった。しかし、父さんの言いつけに従おう。 弟のところへ行って同じことを言うと、「お父さん、承知しました」と答えたが、出かけなかった。 どちらが父さんの言いつけを守りましたか。イエスはわたしたちに問うています。
兄さんですと答えます。それなら兄さんのように行いなさい。とイエスは言われるのです。
表面で従順に見せるのではなく、体で従いなさい。
父さんは息子たちの心に声をかけたのです。イエスに出会った。イエスに従いたい。イエスに心開きなさい。イエスの言葉が心に刻まれますように。祈りなさい。心がイエスに届きますように。
兄さんはぶどう園に行った。皆と一緒に働いた。汗をかいた。皆、汗をかいている。ぶどうの実を足で踏む仕事をした。みんな揃って、歌って足を動かす。仕事、一日が終わった。わたしも途中から仕事に入った。朝早くから働いていた人も、昼から来た人も、夕方から来た人も同じ賃金をもらっていた。一時間しか働いていない人も、一日分の」賃金をもらった。その人は喜んでいた。今日も、家族で、一緒に。晩御飯を食べられる。ありがたいな。
兄さんは苦労した。しかし、仕事を覚えた。一緒に働くことを知った。みんなと一緒に汗をかいた。
心を込めて、善いものを作るために働いた。大きな勉強だった。苦労のうちに勉強があることを知ったのです。
徴税人、娼婦、見た目は悪い。姿が悪い。仕事が悪い。
でも、その人たちの心はどうかな。徴税人のあの人は、あの人の心は何か知らなければ、その人を判断できない。娼婦、その人の心を知らなければ、その人のことを言うことはできない。
神様を心から求めているかも知れない。苦しい生活だから、強く、強く神様を求めているかも知れない。イエスの言葉が徴税人に、娼婦に入っていった。心に刻んだかも知れない。
わたしたちの信仰生活が、わたしたちの毎日の道2がイエスと共にありますように。