年間第30主日A 出エジプト22・20-26 Ⅰテサロニケ1・5c-10 マタイ22・34-40 23-10-29
イエスはサドカイ派の人たちを言い込められたと書かれています。イエスはこの時、サドカイ派の人たちに復活の世界を説明されていたのです。 復活の世界はこの世の世界を包んでいる。この世から神様に呼ばれた者がその中に入ることが出来る。この世を超える新しい世界、人の欲を、人の権力を完成させるものではない。神様と一致した者が入るのです。復活の世界で生き生きと生きる、いのちが生きる世界です。 ファリサイ派の人々とサドカイ派の人々がイエスの周りに集まっている。一人律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」 イエスがどれほど律法を知っているか、聖書をどれほど読んでいるか試そうとしている。旧約聖書は39の文書、あるいは46の文書が集まっている。イエスは聖書をどれほど読んでいるか、どれほど聖書に現わされている神様のみ心を受け取っているか、それを試したのです。
聖書は神様のみ心が人々に語られている。人々はそれを聞く。いや、聞いているか。神様のみ言葉が、自然と、律法になっている。神様のみ言葉を、聞かなければ、別の道を歩むならば、悪の道を歩むことになる。 イエスは答えて言われます。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。第二も、これと同じように重要である。隣人を自分のように愛しなさい。」律法全体と預言者はこの二つの掟に基づいている。」
サドカイ派の人々よ、律法を守るから天国に入るのではありません。あなたたちは天国に入るために律法を行うのですか。その律法はどこにあるのですか。その律法のうちに神様はおられるのですか。しかし、律法を一つ一つ全部、守れるものではありません。あなた方の思う律法の世界に入って行くのではありません。律法の心の世界に入って行くのです。律法の心、神様の心の入って行くのです。 聖書を読み込む、聖書があなたの心の一部になったらいい。聖書の世界に入る、神様と話をすることです。
律法を心から行う、律法を心から行うとき、神様のみ心に到達します。神様のみ心はいのちに到達します。 イスラエルの神殿は律法という石で作られている。一つ一つの石がアブラハムの子孫、わたしたちの信仰です。わたしたちが石となり、イスラエルを作ってゆくのです。