年間第32主日A 知恵6・12-16 Ⅰテサロニケ4・13-18 マタイ25・1-13 23-11-12
第一朗読・知恵の書を読みました。知恵とは何ですか。知恵とはいのちの光、いのちの力と考えたらどうでしょうか。いのちの光は神様からくる、だから輝かしく朽ちることがない。
いのちを愛する人はいのちの光に、いのちの力に出会う。いのちを探す人は、まず始めに、静かに自分を見つめるのです。そして、深い祈りに入りなさい。
いのちを求める人はいのちの光に向かって歩いて行く。その人は光を感じ、光の方へ歩くのです。 いのちの事を、いのちについて思い巡らすのです。いのちを大切にする人にいのちの光は優しく姿を現し、深い思いやりの心でその人と出会います。
いのちを見ようとしない人に知恵は見えません。いのちの光、いのちの力は見えません。人はいのちによって生きていると知った時、いのちの光が見たくなる。いのちの力が見たくなる。探し求める。あるわけではあり銭。祈りの生活に入る。人と出会う喜びを知る。人と出会い、心がつながる。いのちと出会ったのです。一緒に歩いていることを知る。 出会う人といのちを味わうのです。
イエス様は言われます。天の国はどこにあるのでしょうか。天の国は遠い、はるかに遠いところにあるわけではありません。わたしたちの生活の中にふと、天の国の入り口があるのです。
そして、ともし火を持った10人のおとめたちが出てくるたとえ話をされます。
10人のおとめたちが婚宴のお手伝いをしています。この婚宴の喜びに入るのです。婚宴がある道にともし火を用意していなさい。天の国への道に婚宴の宴は用意されているのです。ともし火と同時に油も用意しなさい。ともし火と油。これを知恵、神様への信仰と服従と考えたらどうでしょうか。「神様への信仰と服従」が「ともし火であり油」です。天の国への道にいる。まことの信仰をもって道の上で待っているのです。 人の真似して信仰の道を歩むのではない。十分回心していますか。祈っていますか。隣人のために手助けとなっていますか。人と出会う生活をしていますか。
油が足りない。律法を守っていない。律法を守っているから、まことの律法を守っていない。
先生、教師と呼ばれている。お金を蓄えている。et.c
婚宴の館の門は閉ざされてしまった。「扉をたたく。ご主人様、開けてください。」「お前の信仰はまことの信仰ではない。お前の心にまことの愛が見えない。」
目を覚ましていなさい。いつ主があなたを呼ばれるか分からない。あなたの油はいのちの光に輝いていますか。いのちの光はまことの信仰の光です。