無原罪の聖マリア 23-12-8
今日わたしたちはイエス様のお母さんマリア様の記念を行います。
主は言われます。わたしはこの世界にわたしが行く、わたしが行ってわたし心をわたしが皆に語ろう。天の父はご自分の姿をこの世に生まれる子に託しました。その子に母を与える。父はこの世を見渡します。何世紀にもわたって、この世を見ました。そして素晴らしい女の子を選んだのです。朗らかな、明るい、よく働きます。父さん、母さんに素直です。祈りが好きです。その子の名はマリア。天の父は、神様はイエスに素晴らしい母を与えられたのです。
「マリア、神様があなたに声をかけられた。神様は言われます。わたしの思いを受け取ってくれますか。」 「わたしはまだ幼い者です。何も出来ません。」 「あなたはご自分でするのではありません。あなたの心をもっともっと開きなさい。わたしの思いのうちに行うのです。」 はい。わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように。」
聖霊がマリア様に満たされた。子のうちにある聖霊がマリを包んだのです。マリア、ヨセフのうちに子イエスが生まれた。
父さん母さんの愛が、神様の愛がこのイエスに注がれます。子が生まれた。言葉にならないほど、深い愛が静かに生まれ育ったのです。神様のひとり子が生まれました。
イエスにとってマリアは母さんです。イエスの心とマリアの心はつながっています。母さんと子が、親子がいのちに結ばれて、つながっているのです。
神様はイエスの母に最高の人を選ばれた。母マリはイエスにいつも心を示めされている。生きる力を示されている。温かさ、おおらかさ、静けさ、受け入れる喜び、苦労する喜びを示されているのです。 教会は宣言しました。マリアは原罪から解放されています。マリアは無原罪です。
原罪を見つめます。創世記3章。
もっとも賢い蛇が女エバに言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」「園の中央の木の実だけは食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなるのだ。」
女、エバはその実を食べた。一緒にいた男アダムにも渡したので彼も食べた。
その実を食べた。死が訪れたのです。 死とは、失うことです。自分のもとから、自分たちのもとから持っていた物が失われる、去って行ってしまう。残念に思う。食べ物が、飲み物がなくなってしまった。どうしたんだ。怒る。服がない。車がない。何も出来ない。自分は裸だ。生きられるのか。だったら、奪ってやろう。生きるために奪ってやろう。この人に生きる命はなくなってしまう。
自分のものを失うか、自分が消え去ってゆくことを知る、これが死です。
エバ、アダム、あなたたちの生きるとは自分の物をたくさんにすることです。自分の物を人になんか与えない、人の物を自分の物にする。
わたしは裸です。何も持っていません。アダムとエバはそれが恥ずかしかった。だから神様の呼ぶ声に、隠れた。 マリアも言います。わたしは何も出来ません。どうしたらいいのですか。神様の声に従いなさい。持っていない、与えられているのですよ。それを感謝して受け取りなさい。あなたには、あなたの心、あなたの体、あなたの力が与えられている。働きなさい。自分のためではなく、人のために働きなさい。人がそれを喜ぶ。人のために働く、それが生きる喜びではないでしょうか。
無原罪、その栄光は苦労することです。悲しむことです。自分の子さえ与えることになった。
神様これが栄光ですか。これはわたしの思いです。わたしと共に苦しんでおくれ、悲しんでおくれ。
無原罪のマリア様、与え続けたマリア様にまことの栄光がありますように。まことの喜びがありますように。