年間第6主日B 創世記3・16‐19 Ⅰコリント10・31-11・1 マルコ1・40-45 24-2-11
重い皮膚病を患っている人がイエスのところに来ました。重い皮膚病の人は住宅地には住めない。人と離れて住まわなければいけないのです。重い皮膚病、あの病気は神様からの罰だ。あの人の先祖が何か悪い事をしたのだ。人々はそんな陰口をたたくのです。重い皮膚病の人が町を歩くときには、「わたしは汚れた者です。わたしは汚れた者です」と言いながら、鈴を鳴らして歩くのです。人々はそれを聞くと、通りにいる人たちはすぐに、家の中に入ってしまいます。
皮膚病の人たちは町から離れた場所に閉じ込められているのです。そして、母さん、兄弟たちが毎食、食べ物を運んでくれます。だから、きっと、食事を運んでくれる母さん、兄弟たちが、イエス
という預言者が今日、この町に来るよと教えてくれたのだと思います。…隠れてじっと待つ。…人々が大勢歩いて来る。イエスを見つけて出て行く。人々は驚いて去ってゆきます。重い皮膚病の人はイエスを見つめながら、イエスのもとに行きます。ひざまずいて願います。「御心ならば、わたしを清くすることがお出来になります。」イエスはその人を見ます。心を見ます。深く見ます。そして、手を伸べ、その人に触れて、「よろしい。清くなれ。」と言われます。たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなりました。その人は自分の体が清くなったと感じました。その人は、その人の心と体は喜びでいっぱいになりました。
イエスは厳しく注意して言われます。「誰にも、何も話さないように気をつけなさい。行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのためにささげなさい。」 その人にとってこの出来事は大きい。この時のその人はイエスの話など聞いていなかったかも知れません。この喜びを語りたい。大いに語りたい。喜びを隠しきれない。神様がわたしにみ業を行われた。わたしは解放された。町から離れたところの、閉じ込められた生活から解放された。罰のうちにあるという人々の噂から解放された。」 その人はこの出来事を告げ、言い広め始めました。
その人はイエスの思いに応えることが出来なかったのです。人々にこの出来事を言ってはいけないとは、この出来事は、あなたに与えられた神様のお恵みです。神様はあなたを見た。あなたの苦しみを知った。そして、あなたに癒しの恵みを与えたのです。神様があなたと結ばれた。あなたの心が神様に向かってほしいのです。
人々はイエスの出来事を目の前で見た。イエスの癒す力を知った。あのような重い病も癒す。人々が神様の罰と考えていた重い皮膚病を癒した。イエスは病を癒す方だ。神様のみ言葉のうちに神様の業を行う。イエスは病を癒す方になっていたのです。
イエスに会いたい。何故ですか。病を癒してもらいたいからです。
その人は自由になった。体が重い病であった。社会生活が出来なかった。暗闇にいた。人と出会えない。閉じ込められている。自分を見つめるときがない。神様はわたしを離れたのか。神様に願うこともできない。生活の暗闇が心の暗闇になった。 あなたの求める自由とは何ですか。
生活の暗みから脱出することです。体が癒されたいのです。
イエスは言われます。 わたしが体を癒すのは、あなたの心が癒されるためです。
あなたは体が癒された。あなたの心はどこに行ってしまったのですか。神様のみ心を忘れてしまったのですか。 あなたはわたしと結ばれている。わたしの心の道を歩いてほしいのです。
イエスは体の癒し主ではなく、まことの癒し主、「心の癒し主」です。