受難の主日(枝の主日)B 24-3-24
(マルコ11・1-10) イザヤ50・4-7 フィリピ2・6-11 マルコ15・1-39
イエスの一行はガリラヤからエルサレムに近づいた。エルサレムに入る。
エルサレム:ローマ帝国の植民地・イスラエルの中心都市。ユダヤの聖なる神殿を持つ。イスラエルの信仰の中心地。反ローマの民族の力とローマの植民政策の力がぶつかり合っている。
ベタニア:苦しむ者の家、貧しい者の家という意味がある。 エルサレムから3kmの距離にある。
マルコ、マリア、ラザロの住む家がある。 イエスはベトファゲでロバに乗ってエルサレムに入るのです。エルサレム入城。戦勝の時、軍隊は馬に乗って入城する。勝利のパレードです。イエスの入城は神の国の苦しみ、貧しさの入城ではないでしょうか。馬ではなく、ロバに乗って、ゆったりと、静かな喜びを持って入る。豊かな都会に貧しい家の者が生活の喜びを、歌声をもって、エルサレムを占領したい。主の祝福はむしろ貧しいところにある、それを現しているのではないでしょうか。
エルサレムが物の豊かさから離れ、主の平安が、主の祝福が与えられますように。 イエスはピラトの尋問を受ける。「お前がユダヤ人の王なのか。」 「その質問はどこから来たのですか。」
「小鳥は飛んだ。」という本を読みました。 こんな話があります。
「山、川、大地、星々―これらすべては、どこから来たのでしょう?」
師は答えました。「お前の質問はどこから来たのかね?
内側を見なさい!
ピラト総督。あなたは何を知っておられるのか。ユダヤ人とはあなたにとって何なのですか。
ユダヤ人の心を読みたいのですか。ユダヤ人がローマ帝国に役に立つかどうか聞きたいのですか。
また、あなたのおっしゃる王様とはどんな方なのですか。
わたしは王です。しかし、わたしはあなたが考えているような王ではない。王とは自分に与えられた人、すべての人と出会うのです。一人一人とつながるのです。ついにはその人の心の中に入って行く、その人の心を受け取るのです。王とは、与えられた人のために働くのです。王は力を持つ。その力は人のために働くものです。わたしが考える一番の働きものは王です。
ピラトはイエスに言います。群衆はあなたの死を求めています。群衆はすます激しく十字架につけろと叫んでいます。 そして、ピラトはイエスを十字架につけるために引き渡した。
イエスは鞭打たれ、茨の冠をかぶらせられた。何度も、葦の棒で頭をたたかれ、唾を吐きかけられた。午前9時、イエスは十字架にかかった。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「わが神、わが神、
なぜわたしをお見捨てになったのですか」 イエスは息を引き取られました。
問題を出します。心で答えてください。
イエスはどこから来られたのですか。 イエスの父さん、母さんはどなたですか。
イエスの十字架は誰のためですか。 なぜ神様はイエスを見捨てられたのですか。
あなたはどこにいますか。 神の国はどこにあると思いますか。
イエスのこの物語を何度も何度もよみかえしてほしいとおもいます。