聖金曜日・主の受難 24-3-29
(イザヤ52・13-53-12 ヘブライ4・14-16,5・7-9 ヨハネ18・1-19・42)
今日、わたしたちの主イエスがこの世から取り去られたのです。苦しみ、悲しみを背負って、十字架によってこの世を去りました。 わたしたちは言われます。イエスの十字架を見なさい。見つめなさい。十字架の前で祈りなさい。えっ、苦しんでいるイエスを見つめ、苦しんでいるイエスに祈るのですか。 わたしたちの求めている平安、平和とは何なのですか。
神様を思い巡らしたいと思います。 初めに神様は天地を創造された。「光あれ。」と言われた。 それ以前に水の上に霊が漂っていたのです。光は神様のみ心。光は「いのち」の力です。「いのち」はつながり。「いのち」は働く力です。 すべてのものは神様とのつながりのうちにある。神様のいのちのつながりのうちにあるのです。 神様は人を造られた。自分にかたどって、似せて人を造られた。人は神様のうちにある。神様のみ心の内にある。神様のいのちにつながっている、み心につながっている。 人は喜びに包まれている、世界は喜びに包まれているのです。
知識あるもの、経験豊かなもの、世慣れ(?)しているものが言います。「お前には本当の自由はない。」「本当の自由とは何ですか。」「自分の思い、自分の欲求を満足させることさ。」「自分の思いなどありません。自分の欲求などありません。」「自分の思い、欲求と戦って自分自身を得る。それが自由だ。それを大切にするなら、誰もそれを侵すことはできない。」「わたしたちは神様の前に平安です。」「それなら、神から離れなさい。知識のうちに、欲求のうちに、自分の持っている力の内に生きなさい。それが本当のあなたです。」 わたしたちはこのものに蛇の姿を見たのです。
人は蛇の姿に従った。 争いが生まれた。力の強い者が自分の世界を作った。強い者同士が戦って、ますます強いものになった。強い者は人を道具として使った。次々と戦争が起きる。人のいのちを、容易く、奪うことが出来るのです。そんな状態が長く続いている。 それはいけない。神様は多くの預言者を送り、みことばを世に現わしました。人々は預言者の言葉を聞いた。人の中には、人の心には、人を超える力がある、神様がおられるという思いが心の奥に沁みついているのです。自然が生きている、人のいのちも人を超える方から注がれている、それを知っている。その方を信じているのです。 しかし、十分に生活できる人たちは預言者の言葉を聞こうとしない。ますます、欲求、要望のうちに生きるのです。
神様は言われる。人はわたしの心のうちに、わたしの喜びのうちに造ったもの。しかし、いよいよわたしに刃を向けている。 今、あなたの国、人が人を支配する国エジプトから脱出しなさい。わたしの国を造りなさい。神様はモーセを選んだ。40年、荒れ野を旅させた。そしてイスラエルを造った。しかし、長い月日の中で、イスラエルも人の欲求の国になっていったのです。イスラエルがイスラエルではなくなっている。 神様はついにご自身が世に降りられたのです。みことばに人のいのちを与えられた。その人の名はヘブライ語でヨシュア、ギリシャ語でイエスと呼んだ。
イエスは神様の愛を説いた。神様の愛は無限ですと説く。人は、神様から命を与えられたのです。神さんがまことの父さんです。わたしたち、人は者によって、力によって自分の世界を作っているのです。しかし、人は神様からいのちをいただいている神の子です。皆は兄弟ではないでしょうか。兄弟で争っている。兄弟同士お茶を飲んだらどうですか。食事をしたらどうですか。
力ある者たちはイエスを捕らえた。弱い者たちは力ある者に反抗することが出来なかった。
イエスがどのように扱われたかを、今日聖書によって知りました。 イエスはだれ一人、一緒に歩むものをなくしました。あなたのためなら命を捧げますと言った者も、イエスから離れていったのです。イエスを守って戦おうという者が誰もいなくなった。 イエスのうちに神様のみ心がある、イエスの業に慈しみがある、愛がある。人の欲望のうちに建てられた国の力には誰も勝てない。ま。イスラエルという国の信仰、伝統のうちに、人々の耳はふさがられていた。
「お前はユダヤの国の王なのか。」
「あなたの王とは何ですか。わたしの王とは、出会う人を大切にすることです。出会う人とつながることです。出会う人と一緒に生きることです。つながりあう。神様はわたしたち兄弟のうちに体の不自由な者、手助けがなければ生きられない者を造られました。その人たちもあなたの兄弟なのです。わたしたちの王はそのことを大切に受け留めています。 わたしは王。あなたの王とは全く違う王です。」 「あなたの考えはいらない。この国を造っている考えと全く違う。あなたはこの国に反抗するものだ。死に渡される。」
今日、イエスは十字架の上で苦しみ、殺されました。わたしたちが神様を殺してしまったのです。
自分たちが殺した。
自分が今何をしているか。自分が今、何を求めているかを静かに思い巡らしたらいい。
自分の毎日の生活は何ですか。人のために手助けをしていますか。
まことの平安とは何ですか。
まことの平和とは何ですか。
いや、あなたは平和を求めていますか。
あなたは平安を求めていますか。
そのために何をしていますか。
イエスは十字架のうちにわたしたちを見つめています。