復活の主日・復活の聖なる徹夜祭                                24-3-31 創世記1126-31a 出エジプト1415-151a エゼキエル3616-17a、18-28 

ローマ63-11 マルコ161-7

  婦人たちはもう一度イエス様に会いたい。ご遺体に油を塗り、香油で飾りたい。泣きたい気持ちでいっぱいです。悲しみに溢れている、そんな思いで墓に行きました。墓の入り口の石の蓋が転がされている。墓に入った。中に白い、長い衣を着た若者が座っていた。若者が言う。「この方は復活されてここにはおられない。弟子たちとペトロに告げな さい。あの方はあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお目にかかれる。」

 

福音を読む前に旧約聖書を3つ読みました。特に出エジプト記は世招ければいけませんと言われます。エジプトのイスラエルの民はエジプト王ファラオの奴隷でした。お前たちはわたしの道具。お前たちの生活はわたしのために働くことだ。人は人の奴隷となってはいけない。人を自分の奴隷としてはいけない。人が生きる、生きるとは自然の恵みを受けること、自然に支えられていることを知る。人が互いに支え合って道を歩む。生きるとは「いのち」を大切にすることです。それを知りなさい。40年の荒れ野の旅は、自分の「いのち」を見つめる、自然の力を見る、そして人が支え合うことを大切することを心と体が受け止める旅だったのです。自然がなければ生きられない、支え合わなければ人は生きられない。そしてすべてを造られた神様を見つめることです。

今の自分の生活を見なさい。あなたは人を支える者になっていますか。自然の実りを大切にしていますか。

イエスは神様のみ心を、また再度、語るために人と一緒に生活されたのです。神様が与えられたいのちはあなたが生きるためのものではないのです。支えがなければ生きて行けない仲間がいます。その人の命の手助けをする。その人が生きる。そのために道具ですと言われたのです。

洗礼はその働きの約束です。その人たちが生きる、喜ぶ。それを一緒に喜ぶのです。

 

ガリラヤに行きなさい。そこはあなたたちが生まれたところ、あなたたちの故郷です。故郷でイエス様と会う。自分のいる所から、今、エルサレムに向かって出発するのです。苦しみの道、悲しみの道を歩む。ついに着く。神様と出会う。イエスと出会う。十分に歩いたか?もう一度故郷に帰りなさい。何度も何度もエルサレムに向かって歩む。

 

イエス様の十字架を見つめて歩みます。人は神にかたどって造られた。

わたしたちは一人一人イエスにかたどって造られたのではないでしょうか。

 

イエスの道を歩む。

十字架を背負いながら歩く。

一緒に歩こう、イエス様は今、わたしたちにそう語っておられます。