三位一体の主日A                             23-6-4

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 今日は三位一体の祭日です。三位一体とは何かを一緒に考えて行きたいと思います。

入門講座でこんな話をします。 

あなたの神様の名前は何ですか。神様は何をなさると思いますか。

ある人は、神様はただ神様。神様という名前しか知りません。 

ある人は、神様の名前はイエスですと言います。 

神様は何をなさるかと質問される。

神様は全部の力を持っていますから、悪いことから救ってくださる。善い出来事を与えてくださる。大学入試がうまく行きますように、とか、交通事故にあわないように。

そんなことを思います。

 

神様の名前はイエスですが、正式な名前ではありません。神様の本名は父と子と聖霊です。

子がイエスという名なのです。 天の父、子のイエス、そして聖霊です。 

この3つの名前が神様の本名なのです。この3つの名前の神様を三位一体の神様と言います。天の父は神様です、という時、天の父の中にイエスがおられ、聖霊がいるのです。

イエスが語る時、業を行う時、イエスの中には天の父、聖霊がいるのです。

イエスは言われます。父がわたしに語らなければ、わたしは人々に何も語ることが出来ない。わたしは、父のみ心を語っているのです。わたしは人の力を超えた業を行います。病をいやします。悪霊を追い出します。死んだ者を生き返らせます。

これらの出来事は、皆、父のみ心のままです。

 

子のわたしが天に上る時、天の父の心の中に入ります。父の存在の中に入ります。

天の父が第一の方ですか。一番大きいのですか。

三位のお方で、どれが一番です、とかはありません。

 

聖霊は何ですか。聖霊は神様の思い、行い、命です。天の御父は聖霊によって御子イエスのところへ行きます。イエスは聖霊によって御父のところへ行きます。

イエスが人に話すとき、イエスのところに、聖霊によって天の父が来られるのです。

イエスの話は父のみ心です。イエスの業は父の業です。聖霊はそれを実現する力です。

聖霊は父のみ心を飲み込んで父の業を行います。

イエスのみ心を飲み込んでイエスの業を行います。

聖霊がいなければ子は天の父のところへ行けません。聖霊がいなければ父は子のところへ行けません。

 

人は町中にいるイエスと話します。目の前におられる子に苦しみ、悲しみを語ります。イエスの言葉が、まことの憐みがその人の心に響きます。父にない子の姿がそこにあるのです。

 

わたしたちは神様の世界に住んでいる。

奇跡という話があります。

「わたしたちは、神様が造られた奇跡の世界に住んでいる。どんなに小さなものにも、どんなに大きなものにも、見えるものにも、見えないものにも、ひとつ一つに、神様の心がある。わたしたちを囲んでいるものは、すべて神様の心だ。わたしたちは神様の豊かな心の中に生きている……。 

そうかな…。わたしたちの生活は、豊さを求めて、毎日戦っているんじゃないかな。本当は、わたしたちには今、奇跡が見えない。神様の豊かさが見えないのだと思う。 

ところで、「挫折」という言葉に出会った。挫折を思いながら、イエスを見た。イエスの最後を思った。弟子たちはイエスを捨てて逃げた。イエスは鞭で打たれ、殴られ、唾を吐きかけられた。重い十字架を背負って歩き、何度も倒れた。そして釘で打たれ、十字架につけられた。弟子たち、人々は、十字架で死んだイエスに挫折を見た。本当の神様は、本物の奇跡は挫折だった。 

今、イエスは聞く。お前たちはわたしを見たか。わたしたちは答える。わたしたちは挫折の中にあなたのすべてを見た、知った。あなたの奇跡が分かった。      

わたしたちにとって、挫折とは何だろうか。人の挫折の中に、生きようとしている力を見ているだろうか。わたしたちは挫折したことがあるか。いや、挫折しなかったら、自分が分からない。見せてもいいものばかり集めていたら、そんなのは自分ではない。見せたくない自分が、神様の心に会いに行く。挫折の時、神様がいる。奇跡の中にいる自分を見つける。挫折の時、豊かさが分かる。苦しみが分かる。喜びが分かる。 挫折、失敗は宝物。嬉しいね。わたしたちはやっぱり奇跡の世界に住んでいる。」

 

三位一体の神様、考え付かないほど大きな宇宙を造られた神様が、わたしたちのために人となられたのですね。時間と空間を造られたか神様が人となられ、わたしたちに声をかけられているのですね。

三位の神様に感謝。

天の御父、イエス様、聖霊様に感謝。

感謝、感謝、感謝。